銀山温泉

大正浪漫だぁ
洞窟風呂 誰だこいつ
大女将なのだ
水墨画の世界ですね
厳しい山登り
五大堂からの眺望
だんだんと積雪が多くなるにしたがい送迎車の中の客は口数が少なくなっていった。渓流の橋を渡ったところで送迎車は停まり「ここで車を降りて、旅館まで60mほど歩いて下さい」と運転手さんが客に呼びかけた。まずドアの傍のカップルが車外に出た。続いて私達が降りようとすると「オーッ」という声が聞こえた。私達も車外に出て見ると、そこにはアンテックな木造旅館が建ち並んでいた。まさに大正時代にタイムスリップしたような錯覚に囚われる。といっても私は大正時代というのは知らないのだが。後に私達が泊まった能登屋旅館の若女将の話だと、真ん中の川を挟んで14軒の旅館が軒を連ねて建っているとのこと。因みに、能登屋旅館は船大工よって建てられ、国の有形文化財に指定されていると若女将が胸を張っていた。文化財はどうであれ、確かに東北の山奥によくぞこれだけの建築物が残っていたもんだと感動する。ところで、先ほどから私達といっているのにお気付きでしたでしょうか。今回は銀山温泉に一泊して尾花沢・山形を通り山寺への旅です。そこで私も芭蕉に肖って曾良を同行している。しかし曾良と来たら何を勘違いしているのか、銀山温泉の各旅館の「湯めぐり」をすると言いだし、私は何とかそれは断念させたのだが、結局、能登屋旅館の全部の風呂に入るという条件で折り合いをつけた。お陰で私は湯あたりしてしまった。
 次の日、能登屋旅館の大女将に見送られ、送迎車で大石田の駅まで送ってもらい新幹線を待っていたら、普通電車の方が先に山形に着くことが分かり、急遽、普通電車で山形へ行くことにした。山形から山寺へ行くには、仙山線に乗り換えなければならない。仙山線の電車の発車時刻までは40分ほど待ち時間がある。とりあえず駅から出て時間を潰そうと改札口から出た途端。又もや例の曾良が「コーヒー、コーヒーが飲みたいー」と言いだす始末。仕方なく駅前のロータリーを渡ってコーヒーショップを探し回ったが見当たらない。その内、待ち時間もなくなり、駅売店の缶コーヒーを買って与えると曾良は「わたし、缶コーヒーも嫌いじゃないよ」と言う。明らかに負け惜しみだ。

仙山線山寺駅で電車を降り、山寺の入口まで歩いていく間に、観光客の姿は見かけなかった。途中、雪掻きをしていた地元の人が「山寺へ行くのかい。階段がアイスバーンになってて登れないよ」と声を掛けて来た。「行けるところまで行ってみます」と答え、私と曾良が日枝神社の前まで来たとき、丁度下山して来た初老の夫婦に出会った。「登ってきたんですか?」と訊ねると「いえ、その先で諦めて帰ってきました」と、ご婦人の方が答えた。私は何故か急にやる気が出てきて、曾良に向って「良し、行くぞ!」と声を掛けて登り始めた。
 今日は2月20日。今や山寺は、この時期を除いて芭蕉の言う、「閑けさや」なんてものは何処にもない。後は年中観光客で賑わっている。地元の人が言っていたアイスバーンはそれ程でもないが、所々に雪の吹き溜まりが出来ていて、階段どころか道さえ分からなくなっている。難所は3箇所あった。仁王門潜って直ぐの所と、納経堂から開山堂の間。そして開山堂から五大堂へ登る所で、殆ど垂直に近い雪の壁になっていた。それでも私は靴で足場を作りながら登っていった。五大堂にたどり着き、ひとしきり景色を眺めていると、曾良がトイレに行きたいと言いだした。私がその辺で遣れと言ったんだが、嫌だと拒否している。私も当為と必然性を持たない曾良をこれ以上付き合わせるは酷だ思い、下山することにした。下山途中せみ塚に立ち寄り、雪を被った石仏の写真を撮る。そういえば曾良は先程から口数が少なくなり、自分が足手纏いになったのを気にしているようだ。ところでトイレの件はどうなったんだろう。私が曾良に聞くと、「大丈夫」てか?

山寺から下山すると、向の丘の上にある「風雅の国」へ向った。此処には芭蕉記念館、美術館やみやげ物店。甘味処やレストランなどが点在してある。勿論、私の目的はレストランの馳走舎である。北欧風の天井の高い店内に入ると、ウエイトレスが景観の良いテーブルに案内してくれた。私が山形牛のステーキとワインを注文すると、曾良は急に元気を取り戻した。私はワインを片手に暫し今登ってきた山寺の雪景色を眺めいた。そして吸っていた煙草の灰を落とそうとテーブルに向き直ると、曾良は・・・こんどは酔ってやがる。

Yawara Yoshino

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