乳頭温泉郷・孫六温泉

工事の足場が下ろされてくる。孫六温泉へ
今晩の宿泊客。私は写っていない・・・
いうまでもなく孫六温泉の玄関
私を無視か・・・
私愛用の露天風呂
小屋が石の湯
この一直線の足跡は?
黒湯温泉の源泉
孫六温泉からバス通りへの道
秋田新幹線を田沢湖駅で降りる。ここは今注目を浴びている、玉川温泉、乳頭温泉郷の起点になっている駅である。玉川温泉は病を患った人たちが、最後の望みを懸けて訪れる温泉といわれている。また乳頭温泉郷の鶴の湯は、九州の湯布院と一二を争う人気の温泉である。で、田沢湖駅はガラス張りの明るく綺麗な駅である。駅の構内にある観光情報センターの女性はさすが秋田、間違いなく美人だ。今回の私の目的地は乳頭温泉郷のなかでも一番奥にある孫六温泉である。乳頭温泉行きバス停は、駅前ロータリーの右側手前にあり直ぐに分かったが、とりあえず一服したいのと、観光パンフレットや駅前を探索したいのでバスを一本遅らせることにした。
 駅前を探索するといってもまだ建設中で何店舗しかない。ロータリー左側のお土産屋に入ったらクスリ屋で、正面の道路向かいのお土産屋は酒屋のようだ。それでもブラブラしているとバスの時間になりバス停に戻るとバスはすぐに到着した。バスは少し遅れてきたので直ぐに出発し先ず田沢湖へ向かう。私はバスに乗り込むと直ぐに携帯をだしメールをチェック。日経のサイトでニュース配信サービスに全部チェックを入れたら、やたらとメールが来るようになってしまった。メールに一通り眼を通して、リアルタイム株価ボードに接続しょうとしたら繋がらない。三本線が消えている。近くの乗客が携帯を使っているので聞くと「それ、FOMAでしょ。これ、auだから。」と勝ち誇った顔をする。クッソー!
 その内バスは田沢湖に着いた。ここで若い夫婦が小さな子供二人を連れて乗り込んできた。バスはここから乳頭温泉郷に向かって山道を登り始める。気がついたときには周囲は雪景である。バスがスキー場のあるホテル街プラザホテル前に到着すると、私を残して殆どの客がバスを降りてしまった。ここから先が乳頭温泉郷である。バスが鶴の湯入口バス停に近ずくと雪の中で立っている二人の姿が見えた。バスが止まると二十歳に行くか行かないかの若いカップルが乗り込んできた。私はバスを降りるまでこの二人のことが気になっていた。鶴の湯入口バス停から実際の鶴の湯まで、雪道を歩いて一時間位は掛かるんではないか。それを歩いて行って帰ってきたのだろうか。まさかぁ。それとも誰かが車に乗せてきて、あのバス停に置いていったんだろうか。しかし雪の積もっている何もない山間部だ。それにバス停の標識が一本立っているだけだ。身を隠す場所もない。そんな取り留めのないことを考えているうちにバスは休暇村前に到着、二人はここで降りていった。私が降りる支度をしている内にバスは終着乳頭温泉に着いた。
 バスの運転手さんに孫六温泉へ行く道を尋ねると、向かいの山道を15分ほど歩いたところだという。私は気合を入れ雪の山道に備えたが、意外と道幅があり車が通った跡もある。積雪もたいしたことはない。私が右側を流れる渓流を眺めながら緩い坂道を歩いていると、後ろから乗用車が近づいてきた。私は道の脇により車の中を見ると中年の男女が乗っている。そのとき私は思い出したのだ。確か、入り口付近に車両進入禁止の札が下がっていたはずだ。私を追い越した車は緩い大きなカーブを登った先で止まっている。二人の作業員が何か言ってるようだ。その内車がバックをし始めた。それがなんとも心もとない。バックはかなり苦手のようだ。私は再び道の脇に避難する。迷惑な話だ。車が引き返した場所まで私も到着した。その先を見て私は思わず笑ってしまった。道幅は極端に狭くなり、それも道の半分は工事の資材を運ぶレールが築いてあり、人一人通るにやっとじゃないか。そのご引き返した二人の姿はこの温泉場では見かけなかった。
 林を抜けた先に鄙びた旅館が見えてきた。孫六温泉だ。秘湯という風情をかもしだしている。旅館の前の渓流沿いには湯小屋と乳白色の露天風呂が幾つか見渡せる。絵に描いたような秘湯である。
 旅館の玄関を入り声をかけると、初老の男性が出て来た。この旅館のご主人なのかもしれない。靴を脱ぎ急かされるままについていくと、正面の階段を二階に上って直ぐの部屋である。石油ストーブで部屋は暖かいが、ガラス製の傘を乗せた裸電球に、床の間に布袋の置物があるだけの部屋で、襖を開けると直ぐ隣の部屋である。勿論トイレは共同でテレビはない。覚悟はしていたので驚きはしない。じつは、あのまったく役にたたない携帯電話に、こんなこともあろうかと、音楽CDを30枚以上インストールしてきたのだ。
 とりあえず部屋で一休みした後、温泉に入ることにした。ここの温泉は全て外湯である。玄関を出て川原に下りたところにある唐子の湯、石の湯、露天風呂が三ヶ所、そしてうたせの湯がある。基本的には此処は混浴である。午後七時から八時半までは唐子の湯を除いて、一応女性専用にはなってはいるが誰も気にしていない。私はおもに石の湯とそれに隣接している露天風呂を愛用した。この石の湯の湯小屋の脱衣場だが、入って直ぐ右側に畳み一畳あるかないかのスペースに、棚に籠が置いてあるだけ。じつは、左側のガラス戸の向こうに女性専用の脱衣場があるのだが、男女ともこの狭いスペースで衣服を脱いだり着たりしている。この狭いスペースで見ず知らずの男女が裸になっているというのも何か変な気もするが、そのことは又おいおい話をするとして。私はまず石の湯に浸かることにした。石の湯というから川原の石で組んである湯かと思いきや床はコンクリートで出来ている。挙句の果てに湯の中に足場としてブロックが無造作に沈めてある。かなりアバウトである。でも、湯の温度は良い。ゆったりと湯に浸かる、このときが一番の至福の時である。さて探索の時間である。小屋の木の戸を開けて外に出るとそこには乳白色の露天風呂がある。この露天風呂が私のお気に入りである。少し降ったところにも露天風呂はあるのだが少し温い。私は温湯は嫌いだ。その露天風呂の右手にある小屋がうたせ湯である。行こうかどうか迷ったが誰も行った様子がない。積もった雪に足跡がないのだ。裸でその雪の中に足を突っ込むのは私も遠慮することにした。
 ひと通り風呂を確認して部屋に戻ってくると、暫くして食事の支度が出来たので下の食堂に来るようにと呼びに来た。食堂に行くとすでに今日の泊り客は食事を始めていた。といっても、一人で来た中年の男性、それと二十代半ばのカップル、そして私。これが今晩の宿泊客全員だ。食事中の客に女将が挨拶を兼ねて話しかけて回る。その話の内容から中年の男性は常連客のようだ。カップルとはここを訪れた有名人の色紙についての話であった。最後に私のところに来て、女将は料理が山菜だけで決して豪華な食事ではないといっていたが、私には十分である。それよりもここの料理の味付けが良い。
 食事が終わり部屋に引き上げてきた。寝る前にもう一度温泉に入るにはまだ時間ある。そこで携帯電話ウォークマンを聞きながら本を読んで時間を潰す。やはりこの雰囲気での選曲は三上寛か。少し重い気もするが。気が付くと九時を過ぎていた。タオルを片手に玄関を出ると、外は真っ暗だが温泉に行く道には外灯が点いていた。 石の湯で丹前を脱ぎ先ず体を温め、そして外の露天風呂へ。露天風呂の周りには雪が積もっている。それが露天風呂を照らす外灯に映え、空は満天の星空である。自然に出る鼻歌は吉田拓郎である。何故だ。私が石の湯へ引き上げてくると入口のガラス戸に人影が見え、そして風呂場に入ってきて擦れ違いざまにお互いに会釈した。食堂にいたカップルの男性だ。私が外に出ると脱衣所で女性が服を脱ぎかけている。いまさら引き返すことも出来ず、彼女の横をすり抜け下着をつけ始める。私が「済みません、直ぐ衣服を着けますから」というと、彼女が「構いません」というではないか。そこで私が「学生さんですか」と聞くと。小学校の教師だという。彼女はそのうち全裸になり戸を開けて風呂場に入っていった。私は湯小屋から出て、南こうせつの「神田川」を口ずさみながら旅館へ戻る。
 朝、目覚めると直ぐに風呂に入りに行く。今日は天気が良い。だが、快晴はコントラストが強く雪景色の撮影にはむかない。てな、真っ当な思念をめぐらし、風呂から上がって玄関に入ると朝飯が出来ているという。私が頭にタオルを乗せたままで食堂に行くと、常連の男性とあのカップルが既に食事をしていた。私がテーブルに付くと、カップルの女性が私にお茶を入れて持って来てくれた。これが裸の付き合いというのだろう。日本人に生まれてよかった。その後あのカップルとは出会っていない。
 部屋に戻り先ず朝の読書だ。BGMはソニー・クラークCOOL STRUTTIN。こんな静かな時間は何年ぶりだろう。いや、何十年ぶりかもしれない。そんな時、人の気配を感じた。開け放ってある入口の襖の方を見ると、おかっぱ頭の女の子が顔半分だしてこちらを見ている。私は無視して読書を続けたが、暫くして再び入口の襖の方を見ると、より大胆に半身乗り出して覗いている。私が「座敷童かお前はぁ」というと、キャキャいいながら廊下を走っていった。この旅館の女の子だ。私は此処に来てから調子の悪くなったカメラを取り出し、玄関に向かう。黒湯温泉に行くためだ。といっても黒湯温泉はこの旅館を少し行ったところの橋を渡り、坂を少し登ったところにある。五分とは掛からない。この黒湯温泉は冬季は閉鎖されているのだ。
 旅館を出るとき、昼飯に暖かい稲庭うどんを作って欲しいと宿の主人に頼んで来た。橋を渡りながら雪景色の渓流を眺める。それからなだらかな雪の積もった坂を登る。雪の上に転々と動物の足跡が残っている。そうこうしているうちに温泉特有の硫化水素の匂いが漂ってくる。すぐ黒湯温泉の入口が現れる。湯小屋の入口や、宿泊施設の入口や窓は、全て板が打ち付けてある。一見西部劇のゴーストタウンである。その真ん中に湯畑というか湯元がある。ぶくぶくとガスを吹上げ、木の樋で温泉を引き込んでいる。そのひつが足元のホースの口に合わさっている。これだ、孫六温泉の源泉は。ヘッドホンからジョン・コルトレーンのGIANT STEPSが先程から流れていた。帰りはあちこち眺めたり写真を撮ったりと、のんびりと引き上げてきた。旅館の玄関の手前まで来ると廊下に女の子が座っていた。私が近ずくと眼を瞑り私の存在を無視する気だ。「おい、座敷童」声をかけたが反応しない。玄関を入り部屋へ戻ってくる。そこへ直ぐに旅館のご主人が、丼をお盆に乗せて持ってきた。ところが、やけにうどんの量が多い。昼飯だといったので気を使ってくれたのかもしれない。
 ここへ来てからカメラのレンズ、ライカDバイオ・エルマリートのズームの調子がおかしい。短焦点から中間辺りまでしか動かない。ま、とりあえず私は望遠は使わないので使えないことはないが。再び、カメラを持って外へ出る。孫六温泉に来たときの道を辿って見ることにしたのだ。旅館の裏山で雪崩止めの工事を作業員がしているが、すでに雪が積もり足場を取り外しているところのようだ。私は道幅の狭くなったところまで来て引き返すことにした。何故か携帯からDeep Purpleが聞こえている。坂の上まで戻って来て旅館や温泉場が見渡せるところまで来た。見ると、私の愛用の露天風呂に誰かいるようだ。徐々に露天風呂に近づいてくると若いカップルが入浴している。そのとき私は目撃したのだ。そのカップルがバスタオルを巻いて風呂に入っているのを。その瞬間、私は頭に血が昇り、手はわなわなと怒りで震えた。お前らはTVタレントか。非国民。売国奴。私の露天風呂が汚されたのだ。
 怒りを静めるため部屋に戻って来た。本を開きAerosmithのRocksを選曲する。山間の日没は早い。外はいつの間にか真っ暗である。夕食の前にひと風呂浴びようと石の湯に向かう。戸を開け中に入ると女性もののブーツがまず目に入った。脱衣場に視線を遣ると「あっ」という声がした。二十歳ぐらいの女の子が裸で胸を押さえている。でたなゴキブリ。なにが「あっ」だ。此処は混浴じゃ。私はその瞬間不気味な笑みを浮かべ、思考を巡らしていたのだ。まず、あの頭に延髄蹴りを加え、倒れたところを馬乗りになり、両の頬にパンチの連打を食らわして、最後に喉をギロチン攻めにしてやる。団塊の世代をナメルなよ。因みに、私が孫六温泉に来てずっと読んでいた本は平山夢明短編集である。(平山だったらこの程度ではすまないぞ)私は彼女に風呂から出るところか、入るところか訊ねた。入るところだという。私は三十分経ってから出直して来ると言い残して外へ出た。我々団塊の世代は『美しい国、日本』の為に、これから闘わなければならないのだ。
 旅館に戻ると夕食の支度が出来ているという。そのまま食堂に行くと一人分しか準備されていない。挨拶に来た女将に聞くと今晩の泊り客は私一人だという。では、風呂にいたガキ共は・・・。女将の話では休暇村の宿泊客ではないかという。私が来た道ではなく休暇村から来る道があるんだという。大体、秘湯の温泉に入りたいなら混浴を覚悟して来い、と思ったが。女将の話だと孫六は日本秘湯の会には入っていないという。日本秘湯の会に入っているのは鶴の湯だという。しかし鶴の湯の方は今や連日、日帰り入浴客の観光バスが乗り入れている。日本秘湯の会の提灯は、孫六の方が相応しいと私は女将に云ったが。
 夕食後、露天風呂に浸かりに行った。静かだ。誰も居ない。そのうちポツポツと水滴が頭に落ちてくる。最初筒から注がれている温泉の水滴かとおもったがそうではない。雨だ。夜中、激しい渓流の音で眼を覚ましたが外は暴風雨のようだ。朝眼を覚ましたら雨は幾分小降りになっていた。今日は八時四十分発のバスで、角館に行かなければならない。急いで朝飯を食べ、帰り支度をし、かなり忙しい。荷物を持って玄関に下りると、座敷童が受付で何か書きものをしている。私が奥に向かって声をかけると旅館のご主人が出てきて、受付を座敷童と交代する。精算を済ませ靴を履いていると、ご主人が玄関に見送りに出てきて、通ってきた道は昨夜の雨でアイスバーンになっているから車で送ろうか、と云ってくれたが辞退する。玄関から出しなに受付を見ると、座敷童が何時の間にか受付に座っている。そのとき座敷童が顔を上げ、私と視線が合った。座敷童が小さく手を振った。

Yawara Yoshino

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