六月の終わりに、六年半ぶりで長野県上田市を訪れることができた。上田は私が岩手県盛岡市にもどって来るまでの間、十年も住んだ、私にとってのもうひとつの故郷である。今月掲載する写真はその時に撮ったものになると思うけれど、それが出来上がってくる前に私はこの文章を書き始めている。だから、どんな写真が撮れているのか、今の私にはまだよく分からない。
上田は盛岡と同様に、特に何があるという町ではないかもしれない。だから、外国人を含めて観光客がたくさんやってくるということは無い。ここで何回も書いたことがあるけれど、上田は不思議に開放的でそれなりに洗練されている、山あいの小さな町である。空気が乾燥していて、素晴らしい温泉があって、穏やかな田園風景が広がっている。食べ物も美味しい。それが気に入って、上田は私のもうひとつの故郷になった。ここには私を憶えていてくれる友人知人がたくさんいる。暖かいけれどべたつかない、上田のひとたちの人柄も私は大好きである。
水害やらコロナやらのせいで六年半もご無沙汰してしまったけれど、そんなわけで、上田の友人知人たちは変わらない暖かさで私を迎えてくれる。その間、夢にまで見たそばの味も変わらないし、温泉は心身に効く。盛岡もそうだけれど、上田は新幹線が止まるのに、町がゆるやかに変わってゆくので、本当に安心して帰ることができるのである。何十年経ってもこの町の雰囲気は変わらない。それでも、新しく市立美術館が出来たりして、そのへんの事情は盛岡よりも進んでいると私は思う。
私が訪れていた間、天気があまり思わしくなかったから、そんなにたくさん写真が撮れたわけではないけれど、それでも、上田の町や田園でシャッターを押していると、景色がまっすぐにカメラに入ってくる、と言いたくなるような穏やかな気持ちになる。
ここは私の生まれ故郷ではないから、その種の煩わしさが無い。そのことが、上田の澄んだ空気とあいまって、何かしら写真に反映されるような気がする。もちろん、そのことが私の心身を休めてゆっくりと回復させてくれる。
こんなふうに、いつでも暖かく私を迎えてくれる「もうひとつの故郷」があるのは本当に幸せなことだと思う。そして、ひさしぶりに会った上田の友人知人と話していると、私の、上田に住み始める以前の古い記憶までもが、よい方向に、そして正確で風通しのよいものに書き換えられてゆく、という不思議にさわやかな感覚があるのだ。
これはどういうことなのだろう。今までずっと、甘美ではあっても通りかかるたびにつまずく小石のようなものだった私の思い出が、そうではないんだ、と訂正されてゆくような経験である。こんな不思議な思いをするのは初めてだ。
唐突な連想だけど、量子力学のミクロな世界では、現在の出来事によって未来だけでなくて過去までもが書き換えられることがある、という話を私は聞いたことがある。人間の心の中でもそんなことが本当に起こるみたいなのだ。
事実は変わらないけれど、ひとの心は変わる。あるいは成長して成熟する。そのことによって、私には明瞭で広大な景色が見えるようになる。そして、もはやどうでもよいようなつまらない記憶を忘れることができる。自由とはこんなものなのだろうか。
ひとの心のしなやかさを信じること、というのは田坂広志氏の著作にあった言葉だけれど、それがまず、私自身の中で動き出したことに私は感謝して感動している。
それはもちろん上田のひとの暖かさであり、上田の風土の力なのだけれど、なるほど、繰り返しになるけれど「もうひとつの故郷」というのはありがたいものである。それは、こうして旅を終えて生まれ故郷の盛岡に帰ってきても、ここでの私の日常を強く支えてくれる。
あるいは、今私が住んで写真を撮り続けている盛岡という町は、風土の力が強すぎるのかもしれない。その力は魅力的ではあるけれど、その中にずっといると、心身ともにしなやかさを欠くようになってしまうのかもしれない。花巻や盛岡からは宮沢賢治が出たけれど、上田からは出なかった。あるいは、上田も盛岡も、冬は寒冷な城下町であるけれど、上田に座敷わらしは出ない。そんなことを私はぼんやり考えている。
それでも、私が住んでいた頃には無かった上田市立美術館を初めて訪れると、上田からも素晴らしい美術家や写真家が出ていることを教えられた。ハリー・K・シゲタという戦前の写真家を私はここで初めて知った。次回訪れる時には、また別の作品が展示されていると思うと楽しみである。
ともあれ、こうして不思議な通路によってつながっているふたつの町、それが私にとっての上田と盛岡である。この通路を大切にしていれば、私は元気に生きてゆける。元気に写真を撮ってゆける。そんな確信がとても嬉しい。上田の風土と友人知人たちに最大の感謝をこめて、私は元気に生き続けよう。