この文章を書き始めた今、深瀬昌久さんを描いた「レイブンズ」という映画が公開されている。私はこの映画についても、深瀬さんの写真や人生についても語る資格はまったく無い。ただ、深瀬さんが亡くなって十年以上が過ぎて、こうして有名な俳優が演じる深瀬さんの映画が製作されて広く公開される。私は本当に驚いた。私はこの映画を観ていないし、チラシを入手しただけだけれど、ずっと気持ちの底に留め置いてきたことを、これをきっかけにいろいろ思い出すことになってしまった。
ずっと以前、八十年代後半のことだけれど、私は深瀬さんにお会いする機会があった。それは、森山大道さんを講師に迎えた「フォトセッション」のゲストに深瀬さんを招く話があったのだった。深瀬さんと森山さんは親しい友人である。けれども、若かった私は、「このひととは会わない方がいい」と思ってその例会を欠席してしまった。森山さんも、私の気持ちを分かって下さったのか何も言わなかった。そして、今に至るまで、私は深瀬さんに会わなくてよかった、とずっと思い続けている。そんなふうに思えるひとは、私にとって深瀬さんしかいない。考えてみれば不思議な経験である。
それより以前、終刊まぎわの「カメラ毎日」で深瀬さんは月例コンテストの審査をしておられた。その写真と選評を私は毎月熱心に見て読み続けていた。そこから私はたくさんのことを学んだ。深瀬さんは自由奔放なひとであるけれど、写真についてはとても厳しいひとなのだな、という印象を私は持った。森山さんが書いておられたように、エゴイストでありながらも深い優しさをお持ちの深瀬さんの人柄も、私はそこから感じ取っていたのではないかと思う。深瀬さんの選評から、あまり言われないことだけれど、理知的で冷静な印象も私は受けた。それでも、今になって気づいたのだけれど、私はその、深瀬さんが選者を務める月例コンテストに応募する気持ちにはまったくならなかった。森山さんが私の写真を深く認めて下さっているのだから充分、と思っていたのかもしれないけれど、これも考えてみれば不思議である。
ずっと後になって、飯沢耕太郎が「私写真論」の中で深瀬さんを論じているけれど、瀬戸正人さんの回想録を別にすれば、深瀬さんを論じた、本としてまとまった長い文章は、他に大竹昭子の「眼の狩人」くらいではないかと私は思う。「私写真論」も「眼の狩人」も私はよく読んだ。そして、その後の倒れるまでの深瀬さんの作品を、雑誌を通して私は見続けてきた。それは、恐ろしい魅力を持った特異な写真である。
あまり言いたくないことだけれど、そこから私が学んだことは、こんなふうに「私」とかかわってはいけない、こんなふうに写真を撮ってはいけない、少なくともそれは私の手に余る恐ろしい営みである、ということだった。深瀬さんは私に「私」の恐ろしさを、写真の恐ろしさを教えてくれたのだと思っている。
深瀬さんについて私が言いたいことはこれに尽きる。けれども、それをきっかけにして、私は深瀬さんと関係の無いことをあれこれ思い出して考えることになってしまった。
それは、まるで妖怪ぬらりひょんのような「幸せ」という言葉のことである。幸せとは何だろうか。それはまるで、かげろうのように実体が無くて、そのくせ我々をきつく縛り続ける。
幸せとはもっと自由で主体的なものであるはずなのに、世間の人々が考えているそれは、あまりにもきゅうくつで画一なものであるように私には思えてならない。それに縛られて苦しんでいるひとが多過ぎやしないか、と私は思うのだ。私自身、そう達観できるようになるまでこんなに時間がかかってしまったし、こんなに苦しまなくてはならなかった。
世間が押しつけてくる幸せなんて、そのままでは偽物であるし、幸せだなあ、なんて思える幸せも偽物だと私は思う。それは河合隼雄さんが書いておられたように、深い悲しみと断念をともなわなければ偽物のままであるし、幸せとは常に過去形で語られるものではないかと私は思うのだ。懸命に生きた過去をふり返って、あの時は幸せだった、と気がつく。それが本当の幸せではないだろうか。このことは、幸せとは他者が指摘するもの、と言い換えることもできるだろう。
「普通の幸せをあなたがよく理解できるのは、あなたがそれとは別の種類の幸せを生きているからです」と私は以前、あるひとから言われたことがある。そうかもしれない。今書いたように、自分の人生を評価するのは今の自分ではないのだから、私はこれまでどおり、私なりにではあるけれど、ひたむきに生き続けるだけである。写真がその伴走をしてくれる。
そして、あまり幸せとは思えない人生を歩んでいる私のかつての友人たちも歳を取りつつある。彼ら彼女らの消息を耳にすると、幸せに生きるコツ、ひとを深く傷つけないで生きるためのふんばりどころが分かるような気がする。彼ら彼女らは私にとって、いつのまにか反面教師になってしまった。悔しいけれど、もう友人でいることはできない。それを思い出すのは愉快なことではないけれど、その教訓を得ることができたのは、幸せなことなのかもしれない。