夢がたり、夢語り

夢がたり

「夢がたり」というのは今からもう二十年 前に出た歌手、久保田早紀のアルバムのタイ トルです。名曲「異邦人」が入っているので 憶えておられる方も多いのではないかと思い ます。
 一曲目の「プロローグ…夢がたり」は羽田 健太郎のピアノで始まり、ラストの「星空の 少年」はピアノの一音で終わる。このアルバ ムは再発されてCDとして簡単に手に入るけ れど、LPの針がレコードに乗り、音が出る までの沈黙と、A面からB面に盤を裏返す間 合い、そして最後の曲が終わって針が盤面を 離れる音がこれほど似つかわしいアルバムは 無いだろうと思うので、私はあえて中古で入 手したLPレコードを愛聴しています。この 歌の中に入り、そして歌が終わった後で現実 に戻るためにそれは欠かせない儀式のように 感じられます。
 アルバム全体が単なる曲の寄せ集めではな くひとつの作品として成立していて、それが 眠っている間にみる夢のような別世界を聴く ひとに体験させる。そんなアルバムは他にそ うたくさんはないだろうと私は思います。そ して「夢がたり」が想い出させてくれるのは 、少年時代の懐かしい憧れのようなものなの です。

「夢がたり」には入っていないけれど、久 保田早紀には「レンズ・アイ」という写真家 を歌った唯一と思える歌があります。ちょっ とこそばゆい歌だけれども、最近出ているベ スト盤にも入っているようです。よかったら 聴いてみて下さい。乗りが良いのは確かです 。デビュー当時、「天文ガイド」という雑誌 に彼女のインタビューが出ていて、「木星の 写真を撮ったことがある」と言っていたのを 憶えています。

夢語り

眠っている間にみる夢のことを語りたい。

新宮一成「夢分析」(岩波新書)という本 を私は昨年の冬、心身ともに病んでいた時に 読みました。その中に、夢は覚醒した後で他 者に語られるべきものだ、という意味の一節 があります。それだけでは誤解を招きやすい 表現ですが、その大意は、夢語りによってひ とは人生を深め、他者と新たなつながりを持 つことができる、ということではないかと思 います。

生活の転機を迎える時に、私が必ずみる夢 があります。この前もまたみました。ずっと 気になっているのでそれについて語りたい。
 私は十歳から十八歳までの間、遠くに砂浜 と海が見える新潟市のアパートの三階に住ん でいました。その窓から海を見る夢を何回も 何回もみるのです。夢の内容を記します。
 ひとつめは、その部屋を引き払う夢です。 窓から遠くの海と海辺の工場の煙突を見て、 「この景色を見るのはこれが最後か」と思う のです。
 ふたつめは、遠くにあるはずの海が、いつ のまにかアパートのすぐ近く、時には足元に まで来ている夢です。遠くの海に潮が満ちて きて、アパートの足元にまで波がやってきま す。穏やかな波がやってくることもあれば、 嵐に乗って波しぶきが窓を打つこともありま す。それを不思議には思うけれど、決して怖 い夢ではない。ふたつの夢はつながって現れ ます。
 この前みたのは穏やかな波が浜辺の松林を 越えてやって来る夢で、それが引いたあとは 広大な干潟が残されます。温かそうな泥の海 です。リンボ(辺境)という言葉を夢の中で 連想します。
 起きてから後で考えたり調べたりしてみる と「リンボ(Limbo)」という言葉には 、魂がさまよう場所、あるいは「忘却」とい う意味もあるようです。そしてこれはウエイ ン・ショーターの曲の名前でもあります。マ イルス・デイヴィスの「ソーサラー」という アルバムで演奏していますが、私が聴いたこ とがあるのはそれではなくて、ミシェル・ペ トルチアーニ、ジム・ホールとの「パワー・ オブ・スリー」での演奏です。
 それから、村上春樹の小説にも「リンボ」 が時々出てきます。「ダンス・ダンス・ダン ス」の終局近く、主人公がずっと追ってきた 女性キキの夢をみる場面を彼は「意識の辺境 」と呼びます。また「ねじまき鳥クロニクル 」で、正体不明の女性は主人公にかける電話 の中で「…何もかも忘れてしまいなさい。私 たちはみんな温かな泥の中からやってきたん だし、いつかまた温かな泥の中に戻っていく のよ。…」と語ります。
 もしかしたら、LimboはRimbau d(ランボー)にもつながっているのでしょ うか。「辺境」は確かにランボーにふさわし い言葉ですね。
 ただし、これはあくまで覚醒した後に私が 思い出したことです。夢の中では、ちょうど 写真を撮る時のように、無心に目の前の景色 を眺めている。
 そして昨夜、また水の夢をみました。顔を 思い出せない親しい女性とふたりで、小さな 木の橋の上からまっすぐ速く流れてゆく光る 小川を見つめている。ひのきの香りを水に変 えたらこんな光になるのではないかと私は夢 の中で考えている。

穏やかな波が温かな泥を呼び、それが輝く 水につながってゆく。そこにはおそらく、あ る女性が介在している。このことが現実の私 を何処へ導いてゆくのか、それを見ていたい 。



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