なぜか武満徹の話

長野県軽井沢町のとなりに御代田(みよた )という町がある。ここには作曲家の故・武 満徹の仕事場があって、彼は生前それにちな んだ「MI・YO・TA」というあまりにも 透明で悲しいバラードを書いている。まるで 自らの死を予見していたような鎮魂歌である 。彼の死後、この曲は石川セリの歌でCDシ ングルとして発売された。私はそれを聴いた けれど、あまりの切なさに何回も聴き返すこ とができなかった。繰り返しになるけれど、 あんなに透明で静かでしかも身を切られるよ うに悲しい音楽を私は他に知らない。
 実は外回りの仕事をしていた頃、私はある じのいないその仕事場の前をこっそり車で通 ってみたことがある。そこは写真界の大御所 の別荘が並ぶ静かな岡の中腹にあって、とて も落ちついて手入れがゆき届いた綺麗なお宅 だったのを憶えている。

ところで、私は武満徹の音楽が長い間全く 分からなかった。好きか嫌いかを判断するき っかけすらつかめなかった。このことを難解 というのなら、彼の音楽は私にとってまさに 難解以外の何物でもなかった。
 しかし、嫌いなら嫌いでもかまわない、嫌 いならなぜ嫌いなのかを明らかにしておきた い、そんな執念を私はずっと持ち続けていた 。なぜなら、私の大好きなジャズミュージシ ャンの多くが武満徹をまるで神様のように尊 敬していたからだった。自分の好きなひとが 言っていることを判断する物差しが自分に無 い、ということはたまらなく悔しいことであ る。ともあれ、オーネット・コールマンにせ よキース・ジャレットにせよ、一聴したとこ ろ彼らの音楽と武満徹の音楽は全く別物に聴 こえた。
 そしてさらに不思議なことに、武満徹自身 が色々なところでジャズへの親近感を語って いた。ローランド・カークのライヴを聴いて 感動したとかデューク・エリントンの弟子に なりたかったとか、生まれ変わったら必ずジ ャズミュージシャンになってステージに立つ とまで言っていた。
 今思えば、アドリブやメロディーを追うこ としか頭になかったその頃の私が武満徹の音 楽を(しかもCDで)聴いたところでどうし ようもなかったのだった。あまり関係ないか もしれないが、私はチャーリー・パーカーや セシル・テイラーを楽しめるようになるまで も随分と時間がかかった。オーネット・コー ルマンやアルバート・アイラーはすぐに大好 きになったのだけど。
 それからまた時間が経ち、一九九六年に彼 が亡くなった直後に彼の歌を歌った石川セリ の「翼」というCDが出た。これには武満徹 ポップ・ソングスという副題がついている。 これを聴いた時、「ふわふわ漂うような感じ が武満徹なのかなあ」と私が言ったら音楽家 の友人は含み笑いをしながらふむふむとうな ずいていた。
 決定的だったのは、井上陽水と武満徹がと ても仲の良い友人だったということを知った 時だった。井上陽水が武満徹の生前に語った オマージュがとても素敵で、まるで男の友情 の理想をみるようで、音楽家というひとびと が改めてうらやましく思えてくる至福の文章 だった。お互いの作品を完全に理解できなく とも、フィーリングでこんなに素敵に理解し あえる。音楽家以外にそんなことが可能だろ うか?
 で、ふと思いついて井上陽水のアルバムを 買ってきてそれを通して聴いた後に武満徹の 「ノヴェンバー・ステップス」を聴いてみる と、まるで霧が晴れるようにその中に入って ゆけるのだった。
 心の中の渦が「ノヴェンバー・ステップス 」という音楽とともに動いてゆく。それを私 は視覚的なヴィジョンとして体験した。この 世にこんな麻薬のような音楽があっていいの だろうか、と思った。厚みのある音だけでな く、その間の沈黙までが実に雄弁に何物かを 語っている。それは予定調和のようにも即興 のようにも聴こえるが、これ以外にはあり得 ない、というぎりぎりの厳しさをともなって 聴こえる。しかし、それにはふくよかな包容 力がある。ちょうど、すぐれたアドリブがそ うであるように。
 なるほど、こういうことか、というわけだ った。それはアドリブやメロディーラインを 追うことしか頭になかった私の音楽の聴き方 を大きく広げる至福の体験でもあった。そし て、この音楽は開かれた小宇宙であるように 感じた。すぐれた芸術家はそんな奇跡を実現 できるのである。それが私の受けた衝撃だっ た。
 単に覚悟が足りなかっただけかもしれない が、そう感じたからこそ私は逆に武満徹フリ ークにはならなかった。深い泉のほとりに佇 んで、時々そこをのぞきこむ方を選んだわけ である。思い出した時に彼のCDを聴き、彼 が残した文章や彼について書かれた文章を読 んでいるのだが、それだけでも私には宝物の ような体験なのである。ただ、彼の文章から は、このひとはあまり長生きできないのでは ないかという印象を受ける。彼が亡くなって からそれに気づいた自分の間抜けさ加減を悔 やむばかりだ。
 そんなわけで、私は武満徹をひんぱんに聴 くわけではないけれど、井上陽水を聴くこと で武満徹を聴くという錯覚(だろうか)をず っと続けている。井上陽水の厚みのある声は 武満徹のサウンドと同じなのだと勝手に思い 込んでいるのだ。それを知った私の中学時代 の恩師で私に写真の手ほどきをして下さった 音楽の先生は、「井上陽水を聴かずとも武満 徹は楽しめるしこれが世代の差か。日本の作 曲家に例を見ない独自の道を歩んであのよう な素晴らしい音楽を残したことに敬意を表す るのみです。」というお便りを下さった。
 それ以来、今まで私が好きだった音楽にも 全く別の深みがあることが少しづつ分かって きた。ジャズミュージシャンと武満徹が敬意 を交換しあう理由もおぼろげに分かってきた 。つまり、アドリブやメロディーはそれ自体 が目的ではないからなのだった。私がそれま で思っていた音楽とは氷山のかけらのような もので、そこにはとてつもない深みがあるら しい。武満徹の言葉どおり、音楽に上下は無 いのだった。
 世界は重層的で限りない深みを持っている 。音楽はそんなことを象徴しているのだろう か。そう言えば武満徹は音楽を生み出す以前 に、何よりも自然の音を聴くことを大切にし たひとだし、決して人間の世界を離れた超俗 のひとでもなかったのだった。武満徹が全く 分からなかった頃から私を励まし続けてくれ た彼の発言(の大意)を最後に記しておきた いと思う。音楽とはなにか、それに答えを出 すのではなく、音楽とはなにか、その問いを 発し続けるのが音楽家なのだ。

  追伸、御代田町にあるメルシャン軽井沢美 術館の話を書こうとしていたらいつのまにか 武満徹の話になってしまいました。その話は またいつか書きます。その前にもう一度この 美術館に行ってきます。今、私の大好きなポ ール・デルヴォーの絵を展示しているのです 。その後で美術館のとなりの酒蔵でワインを 試飲するのも楽しみです。ちょっと入場料が 高い(千円)けれどデルヴォーとワインで元 はとれます。



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