ジョイス、バカボン、言葉遊び

ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を (もちろん翻訳で)だらだら読み始めた、と いうことを前々回の「なんじゃもんじゃ」に 書いたけれど、いったいこれは何なのだろう 、という疑問とともに、それでもだらだら読 み続けている。
 私が読んでいるのは集英社文庫から出てい る四分冊で、今のところその第一巻しか読み おえていないのだから、こんな文章を書く資 格は私には無いのだが、それでもこれは本当 に小説なのだろうか、と思わずにはいられな い。
 平凡人の平凡な一日が、微にいり細にいり 様々な視点から描かれる。しかし、そこには よくあるホームドラマのような甘さは全く無 い。研ぎ澄まされた明晰さでもって百年前の ダブリン市民の生活が描かれる。いつのまに か、その記述はダブリンの街をはるかに突き 抜けて自在な言葉遊びを演じ、百科辞典を思 わせる知識の海を駆けまわる。
 これは小説というよりも奇怪な散文詩と言 ったほうがよいのではないか、と私は思う。 ロートレアモンの「マルドロールの歌」、特 にそのエピローグである、小説仕立ての「第 六の歌」を二十世紀前半のダブリンに延長さ せると「ユリシーズ」になるのではないか、 と思ってみたりする。しかし、「ユリシーズ 」はどうやら徹頭徹尾、平凡な日常を扱って いるらしいので、読者は「マルドロールの歌 」を読むような幻想の世界に遊ぶことはでき ないような気がする。結局、読者はその破天 荒な手法とあまりにも不つりあいな退屈さを 執拗に検証させられるわけで、それが何をも たらすのか、最後まで読めば分かるのだろう か。
 そんなわけで「ユリシーズ」を読むと、そ の卑猥な描写に興味をそそられることはあっ ても、普通の小説を読む時のような解放感が 味わえない。それでも、その奇妙さに引かれ て読み進むうち、読者自身の平穏な現実の背 後にも、神話のような影が存在することがう すうす感じられるようになる。これは、作中 人物と読者の境界が次第に薄れてゆく、かな り危険な本なのかもしれない。英語を母国語 とし、「ユリシーズ」の母体となっているギ リシャ神話「オデュッセイア」を知っている ひとは、もちろんこれ以上の深い読みができ るのだろう。
 それにしても、作者のジョイスはいったい どこからこんな作品の着想を得たのだろう。 執筆を始めてから二度と訪れることがなかっ た故郷ダブリンと、そこでの生活を異国から 回想し検証する情熱なのだろうか。また、「 ユリシーズ」は一九〇四年六月十六日のダブ リンを舞台にしているのだが、この日付はジ ョイスが愛妻ノーラと初めてデートした日、 とのことである。小説の登場人物の多くが作 者の身内や知り合いをモデルにしているよう でもある。「ユリシーズ」は作者にとって極 私的な動機から書かれたのかもしれない。  そのへんのところは、愛妻陽子さんとの新 婚旅行を撮った「センチメンタルな旅」でデ ビューした荒木経惟さんを思わせるところが ないでもない。後で書くと思うけれど、凄ま じくて卑猥な言葉遊びという点でもジョイス と荒木さんは一脈通じると思う。
 「センチメンタルな旅」は発表当初、つま り七十年代初めは正当な評価を得ることはほ とんどできなかった。そして「ユリシーズ」 が発表されたのは一九一〇年代である。九十 年も昔に、よくまあこんな作品が世の中に受 け入れられたものだと思う。「ユリシーズ」 は激しい非難を受けているが、少数の目のあ るひとびとからは絶賛され、正当に受入れら れてもいる。書かれてから数十年もお蔵入り していた「マルドロールの歌」とはそこが違 う。
 ただ、繰り返しになるが「ユリシーズ」を 読むのはかったるい。言葉遊びというところ に着目するならば、「ユリシーズ」の後にジ ョイスが十六年かけて書いた「フィネガンズ ・ウェイク」のほうがずっと過激で面白い。 柳瀬尚紀による「フィネガンズ・ウェイク」 の全訳が初めて出た時、私はその第一巻を買 ってずっと本棚の肥やしにしてきたけれど、 最近ついにその文庫版が出たので残りを十数 年ぶりに買い足した。
 「フィネガンズ・ウェイク」はまさに言葉 の道化踊りと呼ぶにふさわしい、造語と掛け 詞によるとんでもない文章で、それがどんな ものなのかは実物を手に取って確かめてもら うしかないのだが、これは難解というよりも 、常識に従っているうちは、まず一行たりと も読むことができない代物である。私も残念 ながら今のところほんの少ししかこれを通読 できていない。それでも、「ユリシーズ」の 箸休めにゆっくり読んでみると、文章の背後 に隠れているあらすじがうっすら見えてくる ような気はしてくる。
 「フィネガンズ・ウェイク」では、ひとつ ひとつの言葉にたくさんの意味と音が詰めこ まれている。その結果、言語が崩壊寸前まで 膨れ上がって歪曲している。読者は、その面 白さに眩惑されるせいで話の本筋をつかむの が難しいのだ。結局、正気を保ちながらこん な本を書くジョイスは大作家と呼ぶしかない のだろう。
 これ以上私はジョイスについて書く資格は 無いのだが、「ユリシーズ」にせよ「フィネ ガンズ・ウェイク」にせよ、こんな本を読ん でいると、私の中で幼い頃からくすぶってき た「言葉遊び」の感覚がどこまでも解き放た れる安堵感をおぼえるのは確かである。
 ふと目にとまった言葉の意味や音から極私 的な記憶が呼び覚まされたり、そこから全く 別の言葉が浮かび上がってきたりする。ふだ んの生活の中でも、写真を撮っている時でも 、眠っている間、夢の中でさえ私はそんな体 験を続けている。私にとって、生きるとはそ の営みに等しいのではないかと思うことさえ ある。それは決して病的なものではないのだ 、という安心をジョイスは教えてくれるかも しれない。
 話は変わるけれど、そんな「言葉遊び」を 私に最初に教えてくれたのは、実は赤塚不二 夫の「天才バカボン」だったと思う。バカボ ンはナンセンスで卑猥な言葉遊びに満ちてい て読者を強烈に笑わせてくれるけれど、今読 み返してみるとその背後には何か深い重みが あるような気がしてくる。
 「天才バカボン」には、現実世界の成り立 ちを、パパの自由、ママの慈愛、ハジメちゃ んの天才、レレレのおじさんの道化、そして おまわりさんの国家権力、という形で子ども に強烈にたたき込む力があった。誰かが言っ ていたように、幼い頃にバカボンを読んだの は一種のトラウマだったのかもしれない。そ の中で、一応(?)主人公であるバカボン少 年が唯一平凡なキャラクターだったのも今思 えば奇妙である。バカボン少年は、実は作中 人物ではなくて読者の代表だったのかもしれ ない。それは読者を「天才バカボン」という 異世界に引きこむための手引きだったのだろ うか。唐突だけれど、ジョイスの作品が読者 のまわりに広がる神話的世界を発見させる装 置である、というのとどこか似ているような 気もする。
 そんなふうに、幼い頃バカボンによって私 はすでにジョイスの作品に通じる神話的世界 を刷り込まれていたのかもしれない。その影 は、私が大きくなるにつれて様々な形で現れ てきたように思う。それをいちいち検証して ゆくときりがないけれど、夢の中でまで言葉 遊びをするようになってしまったのもそのお かげだろう。
 たとえば、目覚めている時に外を歩いてい ても、私は看板の文字を反対から読んでみる くせがぬけなかったことがあった。村上春樹 が「「うゆりずく」号の悲劇」というエッセ イで書いていたように、車や船の右側面に書 いてある文字が左右逆転しているのが私も気 になって仕方がなかった。それを補正するく せが高じて、まともな看板の文字まで左右反 対に読んでみるくせがついてしまったのだっ た。これはかなり笑える。反対から読んだり 、音をいくつか入れ換えるだけで、ずいぶん 奇妙で卑猥になる言葉をたくさん発見できる のだ。こうなると、ジョイスの、特に「フィ ネガンズ・ウェイク」の世界まであと一歩で ある。
 そんなことをしながら歩いていると、ギリ シャの哲人のようにどぶに落ちてしまいやす くなるのはやむを得ない。実際私は幼い頃、 度々どぶに落ちていたのを思い出した。しか し写真を始めてからは、どぶに落ちるとカメ ラを壊してしまうので、自然に足元にも注意 を払うくせがついて、外を歩くのがますます 楽しくなった。結局、私は写真家になるしか なかったのかもしれない。文字に限らず、世 界には不思議で秘密めいた暗号が満ちあふれ ているわけで、それをひとと分かち合うのも 楽しい。それをするために、私はどういうわ けか言葉よりも写真を選んでしまった。
 それはともかく、そんな何の役にも立たな い楽しい言葉遊びの体質を、いちばんたくさ ん持ち合わせている日本の作家は井上ひさし と筒井康隆ということになるのだろう。ここ に荒木経惟をつけ加えるのを忘れてはいけな いが、体質は異なるとはいえ、草野心平や宮 沢賢治は彼らの先達なのかもしれない。
 あれこれ書いてきてどうにもとりとめがな くなってきたけれど、どうも洋の東西を問わ ず言葉遊びに情熱を傾ける作家は、その国の 辺境から出ることが多いような気がするのだ 。私の知る限り、谷川俊太郎と舟崎克彦を例 外として、東京の山の手で生まれ育った作家 で言葉遊びに情熱を傾けたひとは見あたらな い。井上ひさしは山形の、筒井康隆は大阪の 、村上春樹は神戸の、草野心平はいわきの、 宮沢賢治は花巻の出身である。いずれも辺境 や異文化との接触が盛んな場所である。そし て、東京生まれの荒木さんも山の手ではなく 生粋の下町っ子である。また、赤塚不二夫は 満州の生まれだし、ジョイスは大英帝国のロ ンドンではなくアイルランドのダブリンの生 まれで、後半生はそこからも離れてヨーロッ パを放浪して果てた。そして、私が読んでい る「ユリシーズ」の訳者は三人とも東京の生 まれではないし、「フィネガンズ・ウェイク 」を訳した柳瀬尚紀は根室の生まれである。 彼は確か、根室は日本語の辺境である、と語 っていたことがあった。
 また、私が好きなロートレアモンもランボ ーもマラルメも、パリで活躍したとはいえ生 粋のパリの詩人とは言い難い。フランス語で 満足に読めないくせに、ボードレールやヴェ ルレーヌのようなパリっ子の詩人は、不思議 に私の興味を引かないのである。これもどう してなのかよく分からない。たとえばマラル メは若い頃に中学校の英語教師としてフラン スの田舎を転々として詩作を続けたけれど、 彼が日々聞かされていた田舎の方言がその詩 に影響を与えたのか、という研究は面白いだ ろうか、と思ってみたりする。マラルメには 、教師の仕事として作ったマザーグースがあ ったと思う。
 要するに、言葉遊びは辺境や異文化との接 点のようなところから生まれるのではないだ ろうか。私は盛岡に生まれて函館、山形、東 根、新潟と小学校を替わった転校生だから、 それはよく分かるのだ。言葉遣いや抑揚の細 かな違い、じゃんけんや遊びのルールの違い 、そんな文化の違いを転校のたびに目のあた りにさせられる。大げさに言えば、転校生は 民俗学を実践するのである。言葉遊びはそん なところから生まれるような気がする。

蛇足。筒井康隆は以前、ハナモゲラ語の研 究をしていたけれどその後どうなったのだろ うか。その研究には山下洋輔や坂田明もつる んでいたと思う。また、私が読みながらゲラ ゲラ笑った小説は、今のところ筒井康隆の「 俗物図鑑」と井上ひさしの「吉里吉里人」だ けです。(小松左京の「ゴエモンのニッポン 日記」も可笑しい。)
 芥川龍之介の「歯車」も笑えますが、この 程度のことで狂って自殺するな、とちゃんち ゃら馬鹿馬鹿しくなって、それ以来芥川は一 切読むのを止めました。私が高校生の頃でし た。



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