耳の写真家

養老孟司さんに「目の作家・耳の作家」と いう文章がある。ここで養老さんは視覚優位 の作家として三島由紀夫を、聴覚優位の作家 として宮沢賢治を挙げてその違いを論じてい る。この文章はちくま学芸文庫の「カミとヒ トの解剖学」に収められているので手軽に読 むことができる。面白い。
 ふたりの作家の違いは、視覚と聴覚に関す る脳の機能の違いに由来することがここで考 察されているけれど、この文章を読んで、私 が三島由紀夫に興味が持てない理由が何とな く分かったような気がして嬉しかった。私が 面白く読んだ三島の文章は今のところ、UF Oが飛来する小説「美しい星」だけで、本当 に勝手とは思うけれど、それ以外の三島の文 章は私にとって「うるさい」気がする。ここ で「まぶしい」ではなくて「うるさい」と感 じてしまうあたりが私の偏見なのだろう。視 覚の言葉「まぶしい」には憧れのニュアンス もあるけれど、聴覚の言葉「うるさい」にあ るのは生理的な拒絶だけである。
 そんな、きわめて乏しい私の読書量からし ても、三島の文章が「音」を思わせることは 無かったように思う。「美しい星」のラスト シーンは暗闇の中で明滅するUFOの妖しい 「光」だったし、「ラディゲの死」の冒頭で 、主人公の足元で軋む木の音もどこか主情的 で、自然な音として私には聞こえてこなかっ た記憶がある。そんな偏見を抱えている私は 「音楽」と題された三島の小説もまだ読んで いない。この文章を書き終わったら手にして みようかとも思う。いずれにせよ、そんな三 島よりも、実際に歌ったり楽器をたしなんだ 作家たち、たとえば野坂昭如や内田百閧 辻潤や筒井康隆の文章の方が私は楽しく読ん でいられる。
 それでも、宮沢賢治の中に不思議で懐かし い音があふれていることくらいは私にも分か る。彼が自然の音や、おそらくその生活の中 に自然に流れていたお経の響きや音曲に耳を 澄ましながら育ったことも想像できる。
 私が最初に読んだ宮沢賢治の作品は、中学 校の教科書に載っていた「オッベルと象」だ ったけれど、その中で、稲こき機械が回る「 のんのんのんのんのんのん」という音と字面 を私はずっと忘れることができなかった。お 経のような、優しい呪文のような、この音と 字面は、ずっと後になって読んだ「グスコー ブドリの伝記」のラストシーンを私に思わせ た。それは、主人公が生命とひき換えに噴火 させた火山が作り出した大気の色「青ぞらが 緑いろに濁り、日や月が銅いろになった」と いう視覚の描写なのだけれど、これは宮沢賢 治の音と同様に、決して鋭利ではなくて、ど こかしらくすんだ懐かしさを持っていて、そ れが宮沢賢治の童話を自己犠牲の悲話だけに していない理由なのかもしれない、と私は思 ってみたりする。
 宮沢賢治に限らず「耳の物語」はどこかし ら懐かしい、くすんだ印象を与えるものなの かもしれない。鋭利で緻密に過ぎるのは「眼 の物語」であって、養老さんは、その違いは 視覚よりも聴覚の方が脳の深い部分、言わば 未分化の旧い部分に関係が深いからだ、と語 っている。それに関連して、「耳の哲学はよ り難解で、より構築的であり、しばしば「よ り本質的」とみなされる」とある。ただ、そ れは作者の中から自然に現れた構造であって 、「眼の哲学」がしばしば意識的で過剰であ ることとは区別しておくべきではないか、と 私は思う。三島由紀夫のように、視覚による 描写が分析的になりやすいのは、視覚が脳の 高等な「分化した」部分で処理されることと 関係があるのだろうか。
 写真家のくせに、何で私がそんなことにこ だわっているかというと、写真にも「眼の写 真家」と「耳の写真家」がいるような気がし て仕方ないからだ。ただ、「耳の写真家」と いう形容があまりにも奇妙なので、今まで口 にできなかったのだった。
 もちろん、私は音を体験させる写真という ものはまだ見たことが無いし、写真にそれが 可能だとも思わない。写真に可能なのは視覚 的な体験を「記録」と称して複写すること、 あるいは撮影によってこの現実を象徴化して 見るひとを深い思考に誘うこと、そのどちら かではないかという気がする。優れた写真家 は多かれ少なかれ両方の傾向を持っているの だろうと私は思うけれど、後者の傾向を多分 に持ち合わせた数少ない写真家を、私は「耳 の写真家」と呼んでみたい気がする。その作 品は過剰でも分析的でも主情的でもなくて、 決して鋭利になることがなく深くて美しい。 そこにはしばしば奇妙な懐かしさ、既視感が ともなう。その代表として私はウジェーヌ・ アジェと近年の中平卓馬を考えてみたい。
 このふたりの写真家を並べて論じる力量は 私には無いのだけれど、実際に町を歩きなが ら写真を撮る時に、私の脳裏をかすめる写真 家は今のところこのふたりである。彼らは雑 踏を歩きながら、その奥に流れているせせら ぎのようなざわめきにそっと耳を澄ましてい るような気がする。曇り無いまなざしで町を 見つめながら、少なくともシャッターを押す 時、ふたりは一瞬の静寂の中で穏やかな思考 に身を任せているのではないか。私にはそん なふうに思えてならない。
 その意味で、アジェが暗幕を被って撮影す る旧式のカメラを用いたことは象徴的だと思 うし、中平が画角の狭い望遠レンズを付けた 一眼レフカメラを使っていることも象徴的に 思える。アジェのカメラは暗幕の中のファイ ンダーに、町をさかさまに映し出していたは ずだし、一眼レフカメラのファインダーは正 像とはいえ、それは暗闇の中に浮上する幻影 である。そしてシャッターを押す時、その幻 影は消え去って写真家は暗闇を体験すること になる。
 そんなシニカルな暗闇の中で、ふたりの写 真家は聞こえないざわめきに耳を澄ましなが ら、凡百の写真家とはかけ離れた美しい思考 を繰り広げているのかもしれない。私はそん な勝手な想像をしている。ふたりの写真の奥 深い美しさと不思議な懐かしさは、そんなふ うに考えてみなければ私には納得できないか らだ。
 とは言っても、暗闇の思考がどのようにし て写真をそこまで決定的に変えてしまうのか 、その回路はどんなものなのか、私には分か らない。その時、視覚と聴覚がどのように拮 抗しているのかも、もちろん私には分からな い。
 ところで、アジェが四十歳で写真家となる までの人生は謎に包まれていた。しかし、彼 がそれまで売れない旅役者をずっと続けてい たことは知られている。写真家として生活で きるようになってからも、彼は演劇に関する 講習会を主宰していたことがあったらしい。 アジェは自身を、今で言う「写真家」とは思 っていなかった節がある。
 死の直前、自分の写真が若きシュルレアリ ストたちに高く評価された時も、彼はそこに 署名することをかたくなに拒んだ。ふだん、 画家たちに下絵として写真を売っていた時以 上のギャラを受け取ることも拒んだ。彼は「 芸術家」に祭りあげられることを断固拒否し て死んでいったわけだが、それは彼の写真家 としての、あるいは旅役者としてのプライド だったのかもしれない。そんな彼が遺した膨 大な写真群は画家の下絵であることをはるか に越えて、その時代のパリの記録であり、ど んな絵よりも謎めいて美しい「写真」である 。そこに私は写真の理想を見てしまう。
 「記録」にだけ固執する写真家は野暮なも のだが、「芸術」に色目を遣う写真家も見苦 しい。もちろんアジェはそのどちらでもなか った。「芸術は写真ではない」というマン・ レイの名言を私は思い出す。
 話がずれてしまったけれど、演劇には音楽 がつきものである。役者には音を聞き分ける 優れた能力が求められるのではないかと私は 想像する。その意味で、役者であったアジェ は「耳のひと」だったのかもしれない。狭い 舞台に響く聞き飽きた音曲よりも、パリの街 路の奥に流れるささやかなざわめきを聴きと る方が彼には性に合っていたのだろう。アジ ェの写真を「舞台装置」と形容したひとがい たけれど、暗幕付きの大きなカメラをかつい でパリを撮り続ける彼は、パリという大舞台 で舞う俳優だったのかもしれない。アジェは 「画家のための下絵を撮影する」という目的 をしばしば逸脱して様々なものを撮っている 。それは、古い映画に登場する俳優、たとえ ばチャップリンや植木等が道行くひとびとに 楽しげに微笑みかけながら踊り続ける姿を思 わせる。生活のための撮影であっても、彼は それを楽しんでいたように思える。それが彼 の写真を限りなく魅力的にしたのだろう。
 では、私が近年の中平卓馬の写真を偏愛す る理由は何だろうか。デビュー当時から現在 に至る中平の歩みは、私には「眼のひと」か ら「耳のひと」へのゆるやかな移行であるよ うに思えてならない。そして、誰よりも論理 に秀でた写真家であった中平にとって、その 歩みは必然であったと言うしかないだろう。 本来「耳のひと」であった中平が、「眼」の 限界に挑んだのが「来るべき言葉のために」 と「なぜ、植物図鑑か」だったと考えてみる 。その後、彼は心身の深い病に侵されること になるのだが、自らの資質を悟るために、あ れだけの病が必要になるということは私を限 りなく恐れさせる。
 「なぜ、植物図鑑か」には音楽に触れた文 章も収められているけれど、それは音楽を愛 するひとが書いた文章とは私には思えない。 再起後の中平さんが、缶ビール、ではなくて ウーロン茶をいとおしそうに飲みながらカセ ットテープの音楽に聴きいる姿を私は見たこ とがあるけれど、この断絶は何だろうか。
 「眼」から写真を始めた中平卓馬が「耳」 に向かって自身を削りながら進んでゆく。脳 の分化した新しい部分から、未分化の謎めい た場所へ一歩一歩降りてゆく。その深みの中 で彼はより強靱な論理を身につける。それは 彼本来の資質でもあったはずだ。そこから生 み出される写真は生硬な論理とは無縁な穏や かさと誰にも真似できない素直さを持ってい る。
 それを言葉で表そうとすると、どういうわ けか、私は谷川俊太郎が作詩した「歌が生ま れる…」という詞が出てくる歌を思い出す。 詳細を忘れてしまっていて申し訳ないけれど 、そこには「未来へとさかのぼり、歌が生ま れる」という詞があったはずだ。この言葉は 中平卓馬の特異な資質と魅力によくあてはま るような気がする。現在や過去を提示する写 真家はいくらでもいるけれど、「未来へとさ かのぼる」写真家は中平卓馬しかいないだろ う。それは、鮭が生まれ故郷の川を渾身の力 をふり絞ってさかのぼる力業を思わせる。写 真の源初に向かって、自らの資質に向かって 、「眼」からより深い「耳」に向かって彼は 歩み続ける。その時、鍛え抜かれた論理が素 直で美しい写真を生み出すことになる。その 論理をうかがい知ることは誰にもできないけ れど、ここで、産卵のために、つまり種族の 未来のために故郷の川をさかのぼる鮭をひき あいに出すのは決して失礼にならないと私は 信じたい。

私は未熟なので、「耳の写真家」という奇 妙な話をきちんと終えることができない。そ れでも、こうして好き勝手な文章を書いてい る私だって、もちろん「耳の写真家」であり たいと思う。
 写真を始めて以来、世間で称賛される写真 の多くにどこかしら違和感を覚え続けてきた 私は、だからこそ写真を撮り続けているよう な気がする。傲慢きわまりないけれど、私が 見たい写真はこんなんじゃないんだ、という 気持ちがいつもつきまとっている。もちろん 、他人の写真を虚心に見て楽しむこととそれ は矛盾しない。
 でも、結局私は「井の中の蛙」でしかない のだろう。ただ、このことわざには続きがあ って、「井の中の蛙は海の広さは知らないけ れど、空の高さは知っている」のだそうだ。 小さな窓から宇宙のざわめきに耳を澄ますの も写真家なのかもしれない。そんな生き方を つらぬければ私も幸せだと思う。



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