死に方上手

池田晶子さんが腎臓癌で亡くなった。池田 さんの最近の文章を私は読んでいないけれど 、最近のポートレートは何だか急にふけこん だ印象があったし、サイン会というこのひと に似つかわしくない仕事をしたりしていたの も、もしかしたら自身の生命が長くないこと を知っていたためなのかもしれない。池田さ んの文章はすぐに読んでしまうのがとても惜 しいので、少し時間をおいてから読むことに 私は決めているのだが、池田さんが結婚され ていたことも私は新聞の死亡記事で初めて知 った。
 池田さんは、埴谷雄高との対話の仕事でデ ビューしたと言ってよいと思うけれど、私は 学生の頃、図書館でそれが載った雑誌を読ん だ記憶があるので、デビュー以来ずっと同時 代を生きてきた作家が急に亡くなってしまっ たという思いがある。ただ、池田さんは「自 分が死ぬということは無い」とか「ひとは殺 しても死なない」といったことを明確に教え てくれた恩人だと私は思っているので、こう して突然に池田さん本人が亡くなってしまっ ても、型どおりその死を悼んだり冥福を祈る 気持ちには全くなれない。このひとに限って 四十六歳が早すぎる死だとも思えない。突然 この世を去ってしまったことに私は驚いてい るだけである。
 池田さんは「人生は全て余生のようなもの 」と広言し、それを裏切らない生き方を自然 につらぬいたひとなので、その死を哀惜する のはかえって本人に失礼だと思う。私として は、この世から離れて念願の「別世界」へ移 住した気持ちはどんなものなのか、ぜひ池田 さんにたずねてみたいけれど、「それは私に 言われるまでもなくあなたにも分かっている はずのことです」とでも言われてしまうよう な気がする。
 もちろん私は池田さんとは何の面識も無い し、私が知る限りこのひとはテレビやラジオ に出演したことも無いから、その身振りや声 色も知らない。発表された文章を読み、時折 伝えられるポートレートをかいま見ていただ けである。しかも、その文章は極めて強靱で 、苛酷かつデタラメな現実を見据えながらも 美しく醒めきっている。たとえ時事問題を扱 っていてもそれは全く古くならないのである 。このひとの文章は時間をおいてから読みた くなる、という理由のひとつがそれだ。
 確か仏陀の遺言は「みずから考え、それだ けをよりどころにして犀のように歩め」だっ たと思うけれど、池田さんのメッセージも結 局これにつきるだろう。そして、我々の前に はいつまでも古くならない池田さんの文章が 遺されている。気が向いた時に読みたいひと がそれを読めばよい。なるほど池田さんの言 うとおり「精神は死なない」のである。
 池田さんの死は、中島敦の短編「名人伝」 の一節「誠に煙のごとく静かに世を去った」 を私に思わせた。ご存じのとおり、この短編 は弓の名人の物語である。物語の後半、名人 となった主人公は全く弓を取ることは無く、 ついには弓という道具さえも忘れ果ててしま う。倉橋由美子の短編では、この名人は単に もうろくしただけだったということになるの だが、池田さんはそんな「枯淡虚静」の域に 立ち入ることなく、元気なまま、まるで名人 のように世を去っていった。池田さんの連載 のタイトルに「死に方上手」というのがあっ たのを私は思い出している。
 晩年の池田さんの仕事は、主に週刊誌に連 載された時評の形で展開されたと言ってよい と私は思うけれど、この、時評という形式が 、もしかしたら池田さんの生命を縮めた原因 だったのかもしれない。それを今読み返して みると、冷静な文章でありながら、池田さん のいらだちがそこから伝わってくるような気 がして仕方がない。池田さんが大好きだった というお酒よりも、その、今の世の中へのい らだちが本人の身体をむしばんだのかもしれ ない。
 「言葉を大切にしなさい」というのが池田 さんのメッセージのひとつだったけれど、時 評という形式は、もしかしたらそれに反する ものなのかもしれない。しかし、哲学的な試 論よりも、時評という形式は、はるかにたく さんのひとに訴える力を持つ。その矛盾を知 ったうえで、池田さんはみずからの生命を犠 牲にしてまで時評という形式を大切にしたよ うに私には思えてくる。言葉というものは鏡 のようなもので、他者や世間を切る言葉はみ ずからをも切る。池田さんがそれを知らなか ったとは思えない。池田さん本人が書いてい たとおり、このひとは正しい言葉を広めるた めに言葉と討ち死にしたのではないか。闇に うごめく怪物のような、言葉というものの広 大さを私は思い描いている。
 だから、池田さんの晩年に書かれた、時評 以外の文章が私にはとりわけ大切に思えるの だ。そこにはこの世へのいらだちは感じられ ず、ただ澄みきった青空を思わせる、風の便 りのような詠みひと知らずの文章が綴られて いる。真理はこのように語られるのがふさわ しいのだろう。
 繰り返しになるけれど、そんな池田さんの 文章を読むと、私は秋の青空を眺めるような 空っぽで充実した気持ちになれるのである。 ジョン・レノンの歌に「地獄なんかどこにも 無い、ただ青空が広がっているだけなんだ」 という詞があったと思うけれど、生きるって ことは本来そんなことなんでしょう、と私は 別世界に移住してしまった池田さんに語りか けてみたい気がする。
 そんなふうに、澄みきった青空を眺めなが らこの世をしたたかに生きる、ということは まさにこの世に生きていなければ不可能なこ とである。別世界に移住して、もしかしたら 青空の一部になってしまった池田さんに悔や むべきことがあるとすればそれなのかもしれ ない。もう少し、青空を眺めながら生きてい てもよかったのではないですか、その経験を もっと書いてもよかったのではないですか、 と私は呼びかけてみたい。それとも、池田さ んはそれさえもやり終えて死んでしまったの だろうか。
 人間の寿命とは一体何だろうか、と私は改 めていぶかしんでいる。幼くして死んだ子ど もが人生を全うしなかったとは限らないし、 百年を生きた老人が人生を全うした保証も無 い。真剣に生きたひとは、そのひとにふさわ しい年齢で死ぬ、という意見もある。しかし 、その年齢で死ぬことが本当にふさわしいの かどうか、それは誰にも分からない。
 短命な動物も長命な動物も、体重当たりの エネルギー消費量は変わらないので、本人( ?)が感じる一生の時間は実は同じなのだ、 という生物学者の見解を私は聞いたことがあ る。人間もひとそれぞれの時計を持っている ので、若くして死ぬひとも長く生きるひとも 実は同じ長さの人生を生きてゆくのだ、とい う意見もあった。様々な時間を刻む、違う時 計を持っているたくさんのひとたちが同じこ の世界に生き続けている。それはとんでもな く不思議なことだと思う。この世界が、ひと りひとりごとに全く別のものに見えているの である。
 もちろん池田さんもそれを知っていた。そ んな池田さんがみずからの死期を悟った時、 つまり自分の時計の進み方を知った時、はた して何を考えたのだろうか。池田さんの最晩 年の文章を私はまだ読んでいないけれど、き っとそこにはそれについての考察が示されて いることだろう。それをいずれ私も読んでみ たい。私も自分の時計の進み方がよく分から ないからだ。ひとは誰しも、みずからの死期 を悟るまでそれは分からないことなのだろう か。私はかつて友人から、どんな死因であっ ても死の時がそのひとの寿命だったんだ、と いう考え方を教わったことがある。それはと ても説得力のある魅力的な考え方なのだけれ ど、それを明晰に考察することが私にはでき ない。
 みずからの老いや病気を実感しなければ、 死について真剣に考察できないひとが世間の 大半を占めるらしい。高名な哲学者や宗教家 でさえその例外ではないらしい。それを知っ て私はうろたえたことがある。池田さんにも そんな体験があったらしい。死について考え 続けるのが生きることである。自分が生きて いるのは奇跡以外の何物でもない。それを知 って生まれて来たのは何にもまさる幸福だっ たと今にして私は思い知る。あとはそれを柔 らかくしたたかに思い続ければよいのだ。
 ところで、一体いつまで私は美しい青空を 写し続けることができるのだろうか。あるい は、私の写真はどこまで青空の美しさに近寄 ることができるのだろうか。
 生きていなければ写真は撮り続けられない 。そのことが、かつて私に死を思いとどまら せた理由だった。青空の美しさがいつも私を 支えてくれているような気がする。青空を望 めない時は池田さんの文章を読み返せばよい のだろう。


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