欠落

ごくまれにではあるけれど、私も大音量で 激怒することがある。世の中には、ある種の 事柄に対する感受性も理解力も想像力も綺麗 さっぱりと見事なくらい欠如している人間が いるもので、そんな相手をのらりくらりとか わしているだけでは済まない事態が時には起 こる。そんな時にはこちらが消耗するのを承 知のうえで怒気を現さなければならない。  両目を充血させ、のどから血を吐きながら 私は相手を指さし怒鳴り続ける。ただし、暴 力を振るうことは絶対にしない。それでも相 手はのらりくらり平然としているものだが、 少なくとも私の言い分を聞かせることはでき る。
 その相手とは実は七十歳になった私の母親 なのだが、このひとはいったい何者なのだろ う、と私は幼い頃からずっと考え続けてきた 。それは私の父親についても同じことだ。そ んなことは思い悩むに値しない、ということ が分かるたびに、私は自分の人生の駒を進め てきたような気がする。結局、私は矛盾と孤 独を抱えたまま強く生きようとする他に無い 。これが幸福なことなのか不幸なことなのか は私にはよく分からない。ただ、そのおかげ で私は愛情とか家族とかいったものについて ずいぶん深く考えてきたような気がする。私 に物心がついて以来、それは今に至るまでず っと続いている。
 母にしてみれば、私が考えているようなこ とを絶対に許容することができなくなる、何 か痛切な体験があったのだろうと私は想像す る。自分でも気がつかないままに、ある種の 完璧な欠落を抱えてここまで生きてくるしか なかったのではないか。あまりにも見事な欠 落は、それゆえに本人を含めて誰にも気づか れることが難しい。それは父についても同じ ことだ。
 その欠落は、問答無用の冷たさを他者に強 いることがあるけれど、子どもは、その欠落 を理解し、許すために生まれてくるのだろう 、ということも私は何となく理解できるよう になった。と言うよりも、子どもはそう思っ て生きるしかないのである。ただ、その欠落 のゆえに母は明晰さを失おうとしている。そ こに逃げ込むしかもう生きるすべが無いのか もしれない。身内といえどもそれを止めるこ とはできない。そこから私は何かを学ぶしか ない。母のように、ものが見えない不幸と安 楽よりも、私はものが見える苦痛と幸福を選 びたいと思う。そのために私は写真を続けて いるように思うこともある。
 ただ、その欠落は、形を変えて私にもしっ かりと受け継がれているのだろうと思う。そ れが何なのか、私にはまだ分からない。いず れそれを理解する時が来るのだろう。
 だから、小説家の丸山健二がどこかで書い ていたように「才能とはまともな人間なら誰 でも持っているものが綺麗さっぱりと欠落し ていることを言う」という言葉が私にはよく 理解できるのである。ビートたけしの「凡人 が天才のふりをするためには凡人なら誰でも 手に入れる幸せを犠牲にしなければならない 」という発言もよく理解できる。その程度の 幸せなら、これからの人生で取り返してやれ ばよい。だから私はしぶとく生き続けること になる。
 何にせよ、私に大した才能があるとはとて も思えないけれど、日常的に写真を撮り続け る、という誰にでもできそうでいてどういう わけかごく少数のひとにしかできないことを ずっと続けている、ということ自体、私に何 か決定的な欠落があることを示しているのだ ろう。それは何をもってしても埋めることは できないけれど、ある種のまれな幸せをもた らしてくれるのも確かである。そんな、私を 越えて広がってゆく幸せの種みたいなものを 大事にする以外に私が生きる理由は無い。
 そして、一見まともで穏やかだけれど妄想 にとらわれやすく、計画的かつ衝動的で執念 深い。私の欠落に伴う特性はこんなものだけ れど、これは写真を撮り続ける以上に、通り 魔のような凶悪犯の特性にぴったりである。 養老孟司さんが言っていたように、自分の脳 の傾向を知っておくのは大切なことだと思う 。妄想を押さえ込む感受性と理解力と想像力 、そして余裕を決して手放さないこと。
 …こんなうっとうしいことを考えているよ りも、私は夜が明けて青空と白雲が広がるの が待ち遠しい。その下を歩けば私は存分に写 真を撮ることができる。地上に光があふれて 平凡な眺めが広がっているのが私には奇跡の ように感じられる。私がそれを写すとそれを 楽しみに見てくれるひとがいる。
 この喜びは、クラインの壺のように私が抱 えている欠落につながっている。その通路を 私は果てしなく歩き続ける他に無い。そして 、その不思議な通路によって私は決定的に護 られている。それは、両親を含むたくさんの ひとたちの愛情である。ただし、フランツ・ カフカが言ったとおり「愛情はしばしば暴力 の貌をとる」のである。それに負けることな く、私はそこから暖かい幸せを引き出さなけ ればならない。今読んでいる、水木しげる夫 人が書いた「ゲゲゲの女房」の副題になって いる「人生は…終わりよければ、すべてよし !」という言葉を私もいつか口にしてみたい と思う。
 あまり関係無いことかもしれないけれど、 人間は、もしかしたら豊かさに耐えるのが難 しい生き物なのかもしれない、と私は思うこ とがある。


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