大病院の本棚から

昨年末に私は近所の総合病院に出向いて年 一回の定期健康診断を受けた。幸いなことに 私は今まで入院生活を送ったことが無いので 、大きな病院に足を踏み入れるのはひさしぶ りだった。
 健康診断は様々な項目について検査をする ので、大病院の中を私は問診票を持ってうろ うろ歩き回ったり、あちこちの待合室で順番 を待つことになる。そんな時にふと周りを見 回してみると、大病院の中には至る所に学級 文庫のような本棚があることに気がつく。こ れは、診察の順番待ちをしたり入院をしてい る患者さんや気分を変えたい見舞い客が手に 取るためのものなのだろう。
 私もそんな本棚から何冊かを手に取って読 んでみたのだけれど、中には蔵書印が捺して ある本もあって、これはどうやら入院してい た患者さんが持ち込んで、そのまま置いてい った本であるらしい。そこに置いてある本の 種類は実に様々なのだけれど、どうやら小説 やエッセイに限ってみると、病院を扱った作 品が多いみたいだ。
 たとえば、村上春樹の「ノルウェイの森」 の下巻だけがぽつんと置いてあるのが不思議 だったけれど、改めて手に取って読み返して みると、そこには脳腫瘍で入院している主人 公のガールフレンドの父親を見舞う場面があ った。この本は、大病院に入院している病人 のやり切れなさを簡潔に、しかし切実に描写 していることに今さらながら気づかされる。 病院の待合室で病人の本はあまり読みたくは ならないと私は思うけれど、この小説は不思 議なことにそんな場所でも読める。
 ここの本棚には、気が滅入るだけの闘病記 も無ければ怪しげな健康法の本も見当たらな い。入院している病人にはそんな本は何の役 にも立たないだろう。あれは健常者の立場か ら病気を見下ろす視点で書かれているような 気がする。その意味では、ここに並んでいる のは、ことのほか厳しい批評をくぐり抜けた 読むに値する本ばかりなのかもしれない。
 そんな中から私は多田富雄著「寡黙なる巨 人」をその場で通読した。身体の自由を失っ た世界的な免疫学者にしてお能の作者が、苛 酷なリハビリに励みながらつづったエッセイ である。
 小泉改革で切り捨てられて死に追いやられ る障害者の立場から、厚生労働省の役人を告 発する文章がそこに含まれているけれど、官 僚という人種はかくも陰湿で冷酷なものかと 私も驚く。著者は病のために前立腺を切除し た、という記述がこの本にあったと思うけれ ど、それによって著者の精神が宦官のように ならなかったのは幸いなことだった、とも書 いてあった。むしろ、ここに登場する厚生労 働省の官僚たちこそ宦官を思わせる。中国の 王朝にせよ、現代の霞が関にせよ、巨大な国 家の官僚というものは実に奇怪なものだと改 めて私は思う。
 身体の自由も、声も失った著者がそんな連 中を相手にして闘ううちにご自身の中に現れ てきたのが「寡黙なる巨人」ということなの だが、すさまじい苦痛や絶望とともに現れた 自由な精神がそこにはあるのだろう。それを 支え続けておられる奥様の献身といい、私に はそこに立ち入る資格は無い。
 ただ、この本の中に、罪を犯してしまう若 者に対して、弱さをさらけ出してさめざめと 泣いてみなさい、という文章があって、これ は本当に身体にしみる。弱さが強さである、 ということをこれほど直截に教えてくれたひ とに私は出会ったことは無かった。病に倒れ られる前の、著者の硬質な文章が別の形でこ こに生きているようにも思う。これが、優し くて「寡黙なる巨人」の静かな声なのだろう 。この本の最後には、おそらく著者が倒れら れてから撮影されたと思われる笑顔の写真が 載せられているのだけれど、これがまた本当 に穏やかで素敵な表情をしておられる。そん な写真を目にすると、私はもう何も書くこと ができなくなってしまう。
 だから、私にこんなことを書く資格は無い のだけれど、書物に記されて後世に伝えられ る言葉というものは、そんなふうにひとの指 先や口から漏れてくるのかもしれない。そし て、文芸にあまり縁の無かった普通のひとで も、病気のために否応なくそんな立場に立た されてしまうと、あふれ出る思いを何とか言 葉にして定着させる必要が出てくるのだろう か。ここの本棚には俳句や短歌の手引きが何 冊か置いてあった。そんな、重いささやきの ようなものが「歌」の始まりなのかもしれな い。必死に言葉を紡ぎ出そうとしているひと がここにもおられるのだと思う。
 特に気張ることも無く日常的に制作を続け る理想の生活は、もしかしたら重い病気がき っかけで始まるものかもしれない。入院こそ しなかったけれど、私がそれを始めることが できたのは、精神的な打撃やうつ病がきっか けだったことに今気がついた。
 ただ、やはり病院にはいろんなひとがいる みたいで、この大病院の別の本棚には盆栽の 入門書があったし、「美術手帖」の大竹伸朗 特集号、あるいは何十年も昔に出た土門拳の 写真集「風貌」の文庫版があったりした。そ れに目を通すのも面白かった。売店の本棚に は、以前は「サザエさん」や「いじわるばあ さん」が置いてあったけれど、今回行ってみ たらそれは無くなっていた。そんな探索をし てみるのも愉しい。私の検査が全部終わった のはお昼だったので、病院の食堂で昼食を済 ませて帰宅した。ここの食堂は「ノルウェイ の森」で描かれているような、食欲を奪うよ うな食堂ではなかったので安心した。
 ちなみに、私の健康診断の結果に大きな異 常は無かった。ありがたいことである。ただ 、私も中年の入口にいるのだから、たまには 胃カメラでも飲んでみなさい、というような ことが書かれていた。それとは別に、歯の定 期検診もそろそろ受けなければならない。健 康な中年体というのは程度の良い中古カメラ みたいだな、と私は思う。大事にして時々メ ンテナンスをすればまだまだ使える。そして 、新品には無い深い味わいも出てくるのであ る。


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