下手上手(へたうま)

ドン・チェリーというトランペッターがい た。フリージャズの代表的な音楽家として知 られるアルトサックスのオーネット・コール マンと一緒にデビューしたひとで、残念なが ら十五年くらい前に亡くなっている。このひ との演奏が私はとても好きなのだけれど、そ れでも、彼の演奏が上手いのか上手くないの か、レコードを聴き込んでみても今ひとつよ く判らないところがある。
 たとえばマイルス・デイヴィスも、デビュ ー当時のレコードを聴いてみると、決して上 手いとは言えない演奏がある。しかし、マイ ルスはその後しり上がりに調子を上げてゆく 。彼のトランペットのトーンは生涯を通して 一貫しているけれど、楽器を鳴らす技術はデ ビューしたての四十年代なかばと病に倒れる 直前の六十年代末ではまるで別人である。も ちろん、それはマイルスの超人的な努力のた まものであって、近藤等則に言わせれば、た いていのトランペッターは歳を取るとともに 楽器を鳴らせなくなってしまう。それは何と なく私にも分かる。トランペットは演奏者の コンディションが現れやすい楽器なのだと思 う。私も中学生の頃、上手くなれなかったけ れどトランペットを吹いていたのでそれはよ く分かる。
 それにしても、ドン・チェリーというトラ ンペッターの技術はよく判らない。私は彼の レコードをたくさん聴いたわけではないので 偉そうなことは言えないけれど、デビュー盤 であるオーネット・コールマンの「サムシン ・エルス」での彼のプレイはとても上手い。 その音にも暖かさがあふれている。しかし、 その後の彼の録音をたどってみると、どこか で、彼は上手く流麗に吹くことを自分に禁じ るようになったのではないか、という印象が 私にはある。
 「サムシン・エルス」以後、ドン・チェリ ーは楽器をトランペットからコルネットに代 えている。コルネットは柔らかく温かい音を 出せるけれど、トランペットのような輝かし くかっこいい音を出すのには向かないと私は 思う。そして、彼はコルネットと並行して、 ポケット・トランペットという小さなラッパ を吹き始める。私はこれを吹いたことが無い のでよく分からないけれど、それがかっこよ く鳴る楽器であるようには思えない。ドン・ チェリーの録音を聴いていると、ポケット・ トランペットは肉声に忠実に、ぶっきらぼう に鳴る楽器であるように私には思える。その せいなのかどうか、彼以外にこの楽器で録音 したひとを私は知らない。
 どうしてわざわざ自分の上手さを殺すよう なことをするのだろうか。相棒のオーネット ・コールマンがこの時期、プラスチックのア ルトサックスを吹いていたことに合わせたの だろうか。もちろんコールマンも上手く流麗 に楽器を鳴らせるひとなのだけれど、この時 期の彼らの音楽にそれはあまり必要なことで はなかったのかもしれない。余談ながら、コ ールマンがプラスチックのアルトサックスを 吹いていた理由もその効果をねらったものな のか、単に貧乏だったせいなのか、私にはよ く分からない。
 ともあれ、音域が高くて音量が大きくて、 しかも音色が輝かしいトランペットは、バン ドのリーダーでない限り、あまり上手く流麗 に吹き過ぎると他の共演者の邪魔をしてしま うことになりかねない。それをドン・チェリ ーはよく知っていたのだろう。彼はその後、 ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズ、 アーチー・シェップやアルバート・アイラー といったテナーサックス奏者に目をかけられ て彼らと共演を重ねている。リーダーを引き 立てる特別な力が彼にはあったのかもしれな い。
 ただ、オーネット・コールマンよりもアル トサックスを流麗に吹けるエリック・ドルフ ィーはドン・チェリーを相棒に選んではいな い。ドルフィーはフレディー・ハバードやブ ッカー・リトルといった飛びっきりのテクニ シャンをパートナーに据えて技巧の限りを尽 くした音楽を残している。それが決して技巧 のひけらかしには終わっていないところがド ルフィーの凄さだと私は思う。ただ、彼の音 楽の謎めいた魅力から私は少し距離をおいて おきたい気持ちが強い。あまりドルフィーの 音楽に深くとらわれると、彼のように早死に してしまうのではないか、という怖さがある のだ。ドルフィーの音楽に魅かれたひとなら この気持ちを理解してくれると思う。
 話がそれてしまったけれど、ドン・チェリ ーは七十年代以降は自分のリーダーアルバム もたくさん残している。それを聴いてみると 、朴訥な肉声を感じさせるのは以前と同じだ けれど、その気になれば流麗に上手くも吹け るんだよ、というふくよかさのようなものが 感じられる。これがドン・チェリーの円熟な のかもしれない。ただ、この頃から、彼が出 す音はとても悲しげな印象が強くなってくる 。彼が一音を吹いただけで曲のすべてがブル ースになってしまう。これも凄いことだと私 は思う。そんな音を出していると長生きでき ないぞ、という思いがあって切ない。
 実は、私はドン・チェリーの生演奏に接し たことがある。一九八六年、パーカッション の富樫雅彦のスペシャルコンサートのメンバ ーとして来日した彼を私は聴きに行った。他 のメンバーはソプラノサックスのスティーヴ ・レイシーとベースのデイヴ・ホランドだっ た。このコンサートはまれにみる名演として 今も語り継がれているけれど、それは私にと って生まれて初めて行ったジャズのライヴだ った。これは本当に幸運なことだったと思う 。初めてのコンサートであれだけ楽しんだ上 に、しびれるような感動を味わうことがどれ だけ幸せなことか。しかも、この四人の達人 がともに演奏したのはこの時だけである。
 そのコンサートは富樫雅彦のリーダーアル バム「ブラ・ブラ」としてCD化されている 。もちろん私はそれを大切に聴き続けている 。CDで聴き直すと、この日のドン・チェリ ーはさほど流麗ではない、ということになる のかもしれない。しかし、あの夜、実際に私 が聴いたドン・チェリーはそんな印象を与え ることはまったくなかったのだ。そして、C Dで聴いても、あの夜の記憶を呼びさまして みても、この時の彼の音にあの悲しみは感じ られない。四人のミュージシャンも聴衆も、 音と沈黙をひたすら大切にしてこのコンサー トは進んでゆく。そこからは音楽の喜びがあ ふれている。繰り返しになるけれど、その場 に居あわすことができた幸せを、私はこれを 聴き返すたびに噛みしめている。
 CD二枚におよぶコンサートの最後に、ア ンコールとして演奏された富樫雅彦の代表曲 「スピリチュアル・ネイチャー」では、大勢 の聴衆が大切に作り上げた静寂の中で、それ を信頼しきった富樫雅彦が打楽器の繊細なソ ロを繰り広げる。その時の聴衆の一員として 、あの音楽に魅了されながらそれを優しく見 守っていた自分を私は今でも思い出すことが できる。富樫のソロの後、デイヴ・ホランド がベースを鳴らすとスティーヴ・レイシーと ドン・チェリーが曲のテーマを再び演奏する のだけれど、そこでドン・チェリーはポケッ ト・トランペットの他に自分の声も披露して いる。トランペッターとしてそれはもしかし たら禁じ手なのかもしれないけれど、あの時 の彼の演奏にはまさにスピリチュアルな優し さと厚みがあった。その感動を私は忘れるこ とは無い。
 …ドン・チェリーが亡くなってから、その 後の彼のレコードをいくつか私は聴いたけれ ど、それは喜びに満ちていたり、悲しいトー ンにつらぬかれていたり、流麗であったり、 ぶっきらぼうに聞こえたり、いろいろな印象 があったと思う。それも彼の円熟だったのだ ろう。
 その円熟をさらに深める前に、彼が病死し てしまったのは本当に残念だと思う。ただ、 ドン・チェリーの影響を受けたトランペッタ ーはたくさんいるにしても、彼を真似して名 声を得たトランペッターはいない。これは、 彼の素晴らしさを裏付ける事実のひとつには なるのかもしれない。「へたうま」の極致、 と私はつい言ってみたくなる。
 もちろん、ドン・チェリーを「へたうま」 トランペッターと呼ぶのは失礼である。ただ 「へたうま」というのは冗談抜きで素晴らし いことだと私は思うのだ。実は「へたうま」 は素晴らしい才能と技術と自信と謙虚さに恵 まれたひとが、必死の努力をもってしてよう やく実現できることではないだろうか。その 証拠に「へたうま」はたくさんのひとに受け 入れられて愛されるけれど、それを真似する ことは絶対にできない。そして、本当の才能 に恵まれたひとは、「へたうま」を目指すか どうかはともかくとして、流麗に上手くなる ことを自らに禁じる時期があるらしい。キー ス・ジャレットもそんなことを言っていたよ うな気がする。少し話は違うかもしれないけ れど、年老いたピカソが子どもの絵の展覧会 を見て言った「私がこんなふうに描けるよう になるには一生かかった」という言葉の重み が少しは想像できるかもしれない。


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