海を見ること

生まれて初めて海を見たのはいつだったのだろう。誰でも考えそうなことを、中年にさしかかった夏の終わりに、私は今さらながら思うことがある。要するに、浮世のことばかり思いわずらうのが嫌になることが私にもある。よく考えてみると、アホらしいばかりの現実世界にずっと顔を向け続ける義理も私には無い。そんな思いにとらわれると、海が見えない場所に住んでいる今の私には、海の気配を思うことが何よりの安らぎになる。二年前の大津波以来、それさえも思うにまかせなかったけれど、自分の中にある海を穏やかに保とうとする気持ちくらいはもう取り戻してもよいように思う。総理大臣のウソ八百とうらはらに、福島の海が致命的に汚染され続けているのならなおさらである。
 あらゆる生命は海で生まれて進化してきたということを知ったのは、おそらく小学生の頃だったと思うし、血液の組成も心臓の鼓動も海の成分や運動に起因する、ということを知ったのは思春期にさしかかる頃だったと思う。そのことが、人間の性とも少なからぬ関係があることを少年だった私もうすうす勘づいていたような気がする。そして今、仕事をしながらこうして文章を書いたり写真を撮ったり音楽を聴いたりという生活を続けるうちに、優れた書き手や写真家や音楽家は、自分の中にある広大な海を発見して、そこから巨大な潮の流れをくみ出すことを可能にしたひとではないのか。そんなことを思う時がある。
 そんな、あらゆる情動の源がなぜ海なのか。広大な森林でも平原でも、あるいは星が輝く夜空でもなくて、なぜ海になるのか。あるいは、なぜそれは海の景色として現れてくるのか。その理由は私には分からない。
 宮沢賢治がどこかで書いていたように、草原や森の息吹を受け止めて、それを言葉にできるひとがいる。あるいは村上春樹の「風の歌を聴け」のように、夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろう、と語り始めるひとがいる。もしかしたら、原景というものは海であろうと森林や平原や星空であろうとも、それは同じものの異なる表現だということになるのかもしれない。つまり、生命力をたたえた、どこかしら懐かしい景色は、ひとによって様々な形をとる、ということだろうか。
 私の場合、幼い頃、記憶が定かでない時に繰り返し乗った青函連絡船の記憶とか、少年時代に住んでいた新潟市のアパートからいつも見えていた遠い海とか、海のある町の風情とともに、それは私のどこかにこびりついている。異界の気配を伝えてくれる海。毎日表情を変えながらも遠くから私を見守ってくれる海。私は海で働く両親のもとに生まれたわけではないので、そんな柔らかな思い入れを抱くことも可能なのだろう。
 中学校の国語の教科書に出ていた芥川龍之介の「トロッコ」という短編では、主人公の少年がはるばるトロッコを押した果てに出会うことになった寒々とした海の景色が今も忘れられない。あるいは梅崎春生の短編「午砲」に出てくる貧しい海の町の描写も私は好きだった。実際の記憶とフィクションが入り混じって私の海の原景は成り立っているみたいだ。生まれて初めて海を見たのは、そんな原景が成立した時だった、と言った方がよいのかもしれない。
 その後、私が成長するにつれて見た、他の海の景色がそこに積み重なって、私の海の原景は今も豊かに成長を続けているように思う。大げさな言い方になるけれど、はるかな昔、内陸の水辺に生まれた人類が川を下って初めて海を発見したように、そんな原景としての海を発見することができたのならば、それを大切にして、その成長を見守るとともに、そこからささやかなおすそ分けを受け取ることができるように私は謙虚に魅力的に生きてゆきたい。
 椎名誠のフォトエッセイ「海を見にいく」を読み返しながら私はそんなことを考えている。うかつなことに、三十年近く前に出たこの本の単行本を私は買い逃してしまって、数年前に文庫になった時にようやく手に入れることができたのだった。大切な本との出会いはそんなものなのかもしれない。


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