明るい牢獄/私の恩師

今年のお正月休みは長くて平和だったと思う。去年みたいにオウムの残党が自首してくることもなかったし、とりあえず表立った大事件が起こったわけでもなかった。私はゆっくり本を読んだり雪かきをしたりして、いいお正月休みを過ごすことができた。
 ただ、お正月休みが明ける頃から厳しい寒さが続いている。その寒さに合わせるように世の中も動き出したみたいだ。最後のバブルとその決定的な破局がやってくるのはもう避けられないみたいだけれど、それにふさわしく思える事件も伝えられる。それでも世の中は奇妙に明るい。
 大阪で、高校生が教師の体罰に耐えかねて自殺した。それは、拷問に等しい凄まじい暴行だったらしいけれど、その教師の名前はこの文を書いている今は公表されていない。暴行の容疑で取り調べると言っている警察の動きも鈍いように思える。これだけの悲惨な事件が、結局は闇の中で始末されようとしている印象がある。その経緯は一昨年に始まった原子力発電所の事故に似ている。当事者であるこの教師が平凡で優秀な人物だった、というところも似ている。
 教師がふるう体罰のように、決して仕返しされることの無い暴力には麻薬のような習慣性がある。それが正義の旗印の下で行われるのであればなおさらである。私の印象では、小心で善良な人間ほどその毒に染まりやすいみたいだ。自分がふるう暴力を自分で止めることができなくなる。それが私にはとても恐ろしい。
 そして、これはべつに監獄や軍隊の中で起こった暴力でもないのに、被害を受けた生徒がどこにも逃げることができずに自殺を選ばざるを得なかった、ということもまた痛ましい。「明るい牢獄」という田村隆一の言葉が現実のものになっていることを私は実感する。「自由」という目に見えない鉄の格子、と田村隆一は続けているけれど、いちど追いつめられてしまったらもはやなすすべが無くて、冷たい孤独を抱えたまま無残にすり潰されてしまう。そんな恐ろしいことが今や誰にでも起こり得る。あるいは、我々の誰もがその瀬戸際にまで追いつめられている。このこともまた恐ろしい。
 繰り返しになるけれど、暴走を始めた狂気を抑えることが誰にもできない。最悪の事態を防ぐことができないうえに、その再発を防ぐこともできない。
 どうやら我々は今、そんな時代に生きているみたいだ。だから、最後のバブルとその壊滅的な破綻を止めることは不可能なのかもしれないし、深刻な原子力災害の再発を防ぐこともおそらくはできないだろう。
 これが私の杞憂であってくれればどんなによいだろうかと思う。絶望に出口は無い、あなたは進むかとどまるか、という言葉があった。それでも、最初に書いたように世の中は奇妙に明るい。そんな世の中に、自分は平凡人だと信じて疑わない連中が大群をなしてうごめいている。以前にも私は書いたことがあるけれど、平凡を装う連中が私は怖い。そんな奴らがひしめく場所を生き抜くのに、私はエネルギーの大半を費やしているようにも思える。やがてやって来る春が待ち遠しい。今の私にはそれ以外に何も言えない。何とか身をひそめる場所を見つけて、そこで季節が変わるのを待ってほしいと思う。季節だけは確実に変わるのだから。
 ところで、河合隼雄さんが、教育者というのは自分に才能が無いことを自覚した人間にふさわしい仕事だ、というようなことを言っておられたと思う。そして、自分より優れた才能を持った生徒を指導する時、教師はある屈辱を噛みしめている、というようなことも言っておられた。やはり教師というのは大変な仕事なのだろう。二年続けて少年時代の私を導いて下さった恩師が亡くなって、その大切な思い出を噛みしめながら私は感慨にふけっている。ろくでもない先生とも私はすれちがったことがあるけれど、このふたりの恩師にめぐり会えた私は幸せだったと思う。べつに私に才能があったわけではなかったけれど、私のような少年をよくも暖かく見守って導いて下さったものだと思う。私がすり潰されることなく今まで何とか生きてこられたのは、このふたりの恩師に負うところが大きい。改めて感謝するばかりである。
 もしかしたら、少年時代の恩師は亡くなることによって最後にして最大の教えを残してくれるのかもしれない。それは、いいかげんもう大人におなりよ、という厳しいはなむけ の言葉である。地上の彩りをすべて隠してしまう白い雪景色の中、その声を聴きながら私は歩き続けている。春よ早く来い!


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