老いて死ぬこと

老いて死ぬというのはもしかしたら素晴らしいことかもしれない。私はそう考えることがある。
 もちろん、老いはおそらく衰え以外の何物でもないだろうし、死は完全な消滅でしかないだろう。「老人力」とか言ってその衰えをごまかしてしまうのは私は嫌いだし、「老醜」という言葉は確かに真実であると思う。そして、前世や来世、あるいは死後の世界にも私はもう興味が持てない。
 ひとはこの世に生まれてきて、宇宙の法則に従って成長して、やがて衰えて消えてゆく。それが偶然であるのかそうでないのか、それは誰にも分からないのだろう。ただ、シンプル・イズ・ベストという鉄則はここでも揺るがないだろうという予感が私にはある。老いて死ぬことは素直に受け入れるしかないはずなのだ。
 本当に奇妙なことだけれど、それを受け入れてしまうとひとは年老いることが無くなるみたいだ。つまり、死に向かうこの人生の中で時間が止まるのである。この矛盾を説明するのは難しいけれど、現にそんな人生を生きているひとが存在する。歳を取るほど若くなってゆくひとのことを思い出してほしいと思う。
 そんなひとにとって、老いや死とは何なのだろう。死に向かって進んでゆく限られた人生の中で永遠を生きること。因果律に縛られることなく過去と未来を自在に行き来できる精神を持つこと。もしかしたら、老いはそれを可能にするのかもしれない。
 それに反して、老醜をさらすひとは生まれた時から醜かっただけのことで、結局、老いはそのひとの本性をさらすだけのことだ、ということになる。老いが嫌われる理由はおそらくそこにあるのだろう。
 努力の果てにそのひとの美しい本性をあらわにする老い。そして、その後にやって来る死は、少なくとも休息をもたらしてはくれるだろう。であれば、老いと死を恐れる理由は何も無くなる。血の気が多くて切ないことが多い若い時期は、その後の老いと死によって本当に素晴らしいものになるのかもしれない。
 いつか終わるからこそ若い時期は素晴らしい。若さが永遠に続くのはおぞましい拷問に等しいように私は思う。
 ところで、人間の寿命は医学的に見て百二十年くらいが限度だというけれど、それを乗り越えようとする研究を続ける愚かな学者先生がいるらしい。不老不死というのはそんなに素晴らしいことなのだろうか。それが私にはまったく理解できない。老いない肉体を与えられて、人間はどう生きればよいのだろうか。もしそれが実現してしまえば、すべてのひとは自殺によって人生を終えることになるだろう。あるいは永遠の重みに耐えかねて、正気を失ったまま何百年も生きることになる。これ以上残酷な人生があるとは私には思えない。
 そして、肉体や精神の不老不死が実現してしまったとしても、不慮の事故によって人間は結局七百歳くらいで死んでしまう、という話も私は聞いたことがある。生きることに飽きてしまって、退屈を持て余して退廃したうえで不慮の事故で七百年の人生を閉じる。そんな生き方が幸せだと思うひとが本当にいるのだろうか。ひとは死ぬから生きられる、というのは確かに正しいと私は思う。
 もう二十年以上も前、私の祖母が亡くなった時の、魂がすうっと抜けていったようなあの死に顔を思い出すと、老いや死が忌み嫌うべきものだとは私にはどうしても思えないのだ。今気づいたのだけれど、祖母は老いや死について愚痴をいっさい言わずに元気に生き続けたひとだった。最期の日々、祖母が病院で書き続けていた日誌には、天候や来訪者の名が淡々と記されるばかりだった。それがとても感動的だったのが忘れられない。そこに死の恐怖や無念はみじんも無かった。死に顔を見た時私は涙を流したけれど、祖母の死後にそれを読んだ私は、そこに悲しみを感じることは無かった。
 逆に、充実した仕事を残して惜しまれて若死にしてしまうひとは、それが不慮の事故であったとしても、老いていたのかもしれない、という気がする。そんな天才たちの死の直前の写真を見ると、若者とは思えないほど貫禄がある。ともに二十五歳で亡くなったクリフォード・ブラウンやスコット・ラファロがそうだ。ふたりは死の直前、まるで人生を知り尽くしたかのような音楽を残している。誤解を恐れずに言えば、彼らは美しく老いていたのかもしれない。老いていたと言うよりも、成熟していたと言えばよいのだろうか。
 私は今、スコット・ラファロの伝記を少しずつ読んでいるのだけれど、老いと死、あるいは成熟についての正確な認識が無ければ、そんな天才の人生をたどることは不可能なのではないか、と思えてくる。あまりにも切なくてなかなか読み進むことができないのだ。やり残したことがたくさんあったとは言え、人間はこれほどまで濃密で充実した時間を生きることができる。後に残されたひとびとは、そんな死者を愛し悼み続けるばかりである。それは確かに悲しいことではあるけれど、これを簡単に不幸と呼んでしまうのも無礼なのではないか。
 素晴らしい老いや死、あるいは成熟というものは、すべてを超えてしまうのだろうか。私にはまだ分からない。


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