永遠の値打ちも無い

新書で出た野坂昭如著「終末の思想」を一読した。最近のエッセイを集めた本かと思って私は読んだのだけれど、奥付けを見るといちばん古い文章は一九七九年に書かれている。一冊の本の中で、三十年以上前の文章と今回の大震災の後に書かれた文章が一緒になっている。それでも通読してみてまったく違和感が無い。野坂昭如という作家の力量がこんなところにも現れているように私は思う。いまさら私ごときが言うことではないけれど、その文章はまるで歌のような調子があって読むほどに魅力が増す。あまりにもよく読めてしまうので、少し時間をおいて読み返したほうがよいように思えてくる。
 その中の書き下ろしの文章は、第一章「この世はもうすぐお終いだ」から始まる。第二章「食とともに人間は滅びる」、第三章「これから起きるのは農の復讐である」、第四章「すべての物に別れを告げよ」、第五章「また原発事故は起こる」…誰もが見て見ぬふりをしている真実を、そんな名文でもって説いているので私は本当に嬉しくなる。もはやどこにも救いは無い。これからやってくるのは生き地獄のような世の中である。そのことが、著者が少年時代に体験した太平洋戦争の終わりや敗戦直後の頃と比較しながら語られる。その、戦中戦後の生活をきちんと伝えてくれるひとも少ない。そんなわけで、かつて日本人が経験してきた地獄にここで耳を傾けることができるのも貴重だ。そして、あまり言われないことだけれど、野坂昭如は科学に造詣の深い作家でもある。
 いかにも希望のありそうな話を私はもう聞きたくない。今の総理大臣が口にしているような成長幻想もうんざりである。そんなものにだまされてしまうほど世間の大多数は愚かなのだろうか。 と言っても私は絶望して暗い気持ちで生きているわけではない。それなりににこやかに楽しく生き続けている。日々の仕事をこなしながら、写真を撮り本を読み音楽を聴き料理をしたりして今までどおり暮らしている。そんな生活を続けるためには、こんなふうに絶望と暗闇をきちんと語ってくれるひとが何よりも必要なのだ。逆に、そんな暮らしを続けていれば世の中がどうなろうと正気を保ったまま楽しく生きてゆけるはずだ。
 何度も私は書いていることだけれど、今は応仁の乱の再来であって、世の中はひたすら乱れてゆくばかりだと思う。いずれ人口が急激に減ってしまって、そこから立ち直る力も無いまま文化も経済も壊滅して荒涼とした景色が広がることになるだろう。大切なことが伝承されなかった世の中の行き着く果てである。それを私はこの目で見つめたいと思っている。そのためにも私は正気を保ったまま健康で長生きしなくてはならない。その、荒涼とした世の中にどんな希望が生まれるのか、それを確かめてから私は死にたい。
 世の中が平和で豊かな時にこそ終末論が語られる、というのは確かに真実であるようで、たとえば「日本沈没」も「風の谷のナウシカ」も七十年代から八十年代にかけて現れた物語だった。少年時代にそれに接した私としては、今、あの頃に語られた終末がいよいよやってくる、という実感がある。
フィクションで体験したことが予防注射のような働きをしているものなのか、私はこれからやってくる地獄のような未来がそれほど怖くは感じられない。他人よりも先に失業もうつ病も経験してしまったので、繰り返しになるけれど、まあなんとかこれからも生きてゆけるだろう、という根拠の無いふてぶてしい自信が私にはある。その自信を深めるためには、こんなふうに、大方のひとが見て見ぬふりをしている真実をあからさまに語ってくれるひとがどうしても必要になるのだ。
 予防注射と言えば、私が高校生の頃にサドやバタイユ、そして野坂昭如を読んだのはかけがえの無い貴重な体験だった。いちばんさかりのついていた時期に、文学の世界であれほど強烈なエロティシズムを経験してしまうと、現実の色事が卑小なものに思えてくる。このメリットは計り知れない。そう思ったからこそ、野坂昭如が語るように素敵な恋をすることも可能になった。そんな文学者たちに私は最大の感謝をささげたい。
 野坂昭如が田中角栄の向こうを張って選挙に出た時、私は高校生で新潟市に住んでいた。その頃の私が野坂昭如を読んだのはそのせいもあったと思う。選挙の直前、野坂昭如が自家用車を運転しているのを学校の近くで見た記憶もある。「男ならふってみな」というコマーシャルもあった。やはりあの頃は今よりもずっと面白い世の中だったと思う。あんな面白い時代が形を変えてまたやって来るものなのか、それも私は見届けたい。
 何が起ころうとも大丈夫だ、という自信があると確かに人生は楽しい。ただ、今の私のように、不安が無ければうまく生きてゆけない、というのが当たり前のことなのかおかしなことなのか、そのへんの見極めはまだできない。今の変転の激しすぎる世の中に大した値打ちは無い、ということが判るだけである。誰かが言ったように、それは冗談として見れば面白い、ということになるのだろうか。今は想像もつかないこともこれから起こるのだと思うけれど、マジメとフマジメのバランスをうまくとって生きてゆきたいと思う。


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