ミッション

新しい年が明けて十五日が過ぎてから私はこれを書いているのだけれど、この、たった十五日のあいだに世の中ではずいぶんたくさんの事件が起こっている。考えてみると、十五日というのはだいたい一年の二十四分の一に当たる時間になる。けれど、もしかしたら、ひと昔前の三か月か半年に起こるのと同じくらいの大事件がこの間に現れているような気がする。わずか二週間ちょっと前のおおみそかがずいぶん昔のことのように思えてしまう。二〇一五年のおおみそかに今の世界が想像できただろうか。
 と言ってみても、幸いなことに私自身はこうしていつものように生き続けている。特になまけているわけではないし大きな事件に巻きこまれたわけでもない。そんな平凡に見える日常に変りは無いのだけれど、こうしてふと立ち止まってみると、外の世界のあまりにも激しい移り変わりにぼうぜんとさせられる。それでも私はこうして何とか生きているのだから、きっとこれからも生きてゆけるのだろう。こんなふうにふてぶてしくなったことこそ年を取ったことの功徳かもしれない。
 このくらいツラの皮が厚くないと今の世の中は生きてゆけない。だから、私よりもずっと若い、これからようやく生き始めるひとの辛さを思うと本当に暗い気持ちになる。かつての私だったらとても生きていられないと思う。だから、こんな世の中で、平凡な幸せを謳歌している連中が私には信じられない。それとも、見て見ぬふりを決めこめば、今は誰でもたやすく幸せになれる世の中なのだろうか。ただ、それがいつ崩れてしまうかは誰にも分からない。
 一月がなかばを過ぎて、配達が終わった年賀状を見ると、総じてサラリーマンは気弱だけれど芸術家はしたたかである。要するに、順風満帆な人生を信じていたやつほど気弱である。その意味ではいい世の中になったと思う。やつらの泣き言なんか、何を今さら、と思うばかりで腹が立つ。いったい私のことを何だと思っているのだろう。
 結局、人生はやりたいこと、あるいはやるべきことをこつこつ続けている人間の勝ちなのである。この年になってそれだけははっきりと分かった。お金も組織も権威もいつかは個人を裏切る。そんなものに安住しているやつらを「勝ち組」と言っていたのは誰だったのだろう。逆に、そんな「勝ち組」からお金を巻き上げたりするのはさぞ楽しいことだろうと思うけれど、あいにく私にはその才能が無いので、私は私のやるべきことを続けてゆくしか無い。
 職場でも「何で私はこの仕事にたどり着いたのだろう」とふと思うことがあるし、カメラを持って歩いている時も、あるいはギャラリーで写真を壁に取り付けている時も「何で俺はこんなことをしているんだろう」と思うことがある。本当にささやかではあるけれど、少年の頃に望んでいたことが今、曲がりなりにもかなえられている。これこそが幸せというものではないか。それはそうなのだけど、これはまるで荘子の胡蝶である。
 ささやかであっても、長年の夢がかなうと人生のすべてが夢になってしまうものらしい。平凡な生活がそのまま夢に変わるのである。生きて行く限りそれは続く。これは不逞にも、あらかじめ決まっていたことのようにも思えるし、何かしら犠牲を払った代償のようにも思える。いずれにせよ、私はこんなふうにしか生きられない。その「犠牲」は他者を決定的に傷つけるものではなかったらしい。そのことだけが救いである。そう思うことを許して欲しい。
 これが「ミッション」というものなのだろうか。世の中には心が痛むことがあまりにも多いし、私が今やっていることが苦しんでいるひとを助けるとはとても思えない。けれど、私にできるのはこれしか無いから私はこれを続けてゆくしかない。
 あるひとがそんなふうに語るのを昨年の秋に私は聞いた。それ以来、私も「ミッション」という言葉について考えている。漢字で「使命」と書くとやや重い印象になる。キリスト教の余韻が残るかもしれないけれど、片仮名で「ミッション」と書くのがいちばんよいような気がする。それは、自分の無力と自分がやっていることの空しさを噛みしめた上で、それでも他者に気持ちを開いて誠実に生きてゆく姿勢のことである。言うまでも無いことだけれど、平凡な幸せを無批判に謳歌するのにこんな覚悟はいらない。別のひとからは「ひとつのことを長く極めるということは歴史を作ることでもあります」という、はなむけの言葉を私は今年の年賀状でいただいた。
 たまたま古新聞をめくっていたら桑田佳祐のインタビューを見つけた。「歌なんて気休めに過ぎないかもしれない。けれどそれも大事かもしれない。そう思えるようになった。」何と謙虚で誠実で自信に満ちた言葉だろうか。

 私は何か大切なことを今、思い出そうとしている。その時、私は何か新しい景色を見るような気がする。それとも、私はこれから、なつかしい未知のひとに出会うのだろうか。この冬の終わりにやってくる季節、つまり春を私は心待ちにしている。ささやかな「ミッション」をはてしなく歩いてゆくために。
・・・それが胡蝶の夢であっても一向にかまわない。


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