遠い夏

先月の「なんじゃもんじゃ」でお知らせしたことだけど、私はこの夏、ささやかな私家版写真集「小笠原諸島 母島への旅」を作った。たった二十二ページの、本と言うよりもブックレットと称する方が適切な印刷物である。表紙もハードカバーではない。もっとも、その方がひとに贈りやすいし郵送料も安くて済む。予算の関係で、作ったのはたった十五冊である。あちこちに配ったらすぐに無くなってしまった。増刷はいつでも可能とのことなので、いずれそうすることになると思う。次からは一冊につき千円くらいはもらってもいいかもしれない。それでも足が出ていることに変わりは無いけれど。
 やわらさんを始めとして、この写真集をたくさんの方が祝ってくださる。そして、すばらしい批評をしてくださる。写真家としてこんなに幸せなことは無いはずなのに、どうしてなのだろう、私はこの夏ずっとゆううつな気分が抜けなかった。
 梅雨と夏の順番が逆になったような、七月の酷暑と八月の雨天曇天のせいもあったとは思う。それでも、もしかしてうつ病の再発ではあるまいか、と思ってしまうほど私の気分は重かった。
 写真集の出来に不満があるわけではまったくない。こう言っては何だけれど、これは自分で思った以上に素敵に出来たと思う。それがたくさんのひとの助力のおかげであることも私はもちろんわきまえているつもりだ。現地、母島の観光協会からも「また来てほしい」という嬉しいお便りをもらった。
 森山大道さんがかつて書いておられたように、「人間は真実にうれしいときは、またかぎりなく寂しいものだ」ということも私はこれで嫌というほどよく分かった。なにしろ、ささやかであっても、少年時代に写真を始めて以来の夢がかなってしまったからである。この道を私は一生歩いてゆくことがこれでようやく揺るぎないものになった。それは、私ひとりの決意ではなくて、世間が私をそのように見ているということである。
 だからと言って、私の生活や写真に対する態度が変わるわけではないし、これからも今までと同じ日常が続いてゆくのは分かっている。ただ、一皮むける、というのはこんなことを言うのかもしれない、とは思う。
 要するに、生きることの階段を一段登ったことによって、もう以前の私にもどることはできなくなった。一見今までと変わらないように見えるけれど、実はまったく新しい道を私はこれから歩いてゆかなければならない。それがさみしくてさみしくて仕方が無い。写真に限らず仕事でも生活でも、がむしゃらに過ごしてきたこれまでの私が懐かしくてたまらない。けれど、もうそこにもどることはできない。いたずらに長引かせてきた私の青年時代がこれでようやく終わったのだと思う。
 そんな今までの私は、私自身がいちばん軽蔑してきたワーカホリックの仕事中毒、その同類だったのではないか、とふと気がついたりする。このゆううつは、その禁断症状なのかもしれない。しつこいようだけど、何事につけ、中毒におちいって自分をごまかしてしまうような生き方はもう私には許されない。それは、今までの私がずっと望んできた生き方なのに、それを手にするのにこれほどの苦痛があろうとはまったく予想していなかった。
 それにしても、写真に限ったことではないのかもしれないけれど、自分の仕事をたとえささやかであっても、こんなふうに本にまとめるということには計り知れない重みがある。それも私にはよく分かった。この経験を私は一生忘れないだろう。そして、写真集の制作をサポートしてくれたカメラ店の奥さんに言われたように、あなたはこれからなんですよ、あなたはまた本をつくるんですよ、そういうことなのだろうと私は思う。それはたしかに天から与えられた啓示なのかもしれない。写真を始めた頃の、少年時代の私が今の私を見たら何と言うだろう。
 話は変わるけれど、先日聴くことができた小曽根真のライヴで、彼がさりげなく「ジャズを演奏する能力を神様から与えられた」と語っていたのが私は忘れられない。そして、小曽根真の音楽が以前よりも格段に深化しているのに私は深い感銘を受けた。メンバーは小曽根真のピアノの他に、ジェームズ・ジーナスのベースとクラレンス・ペンのドラムス、これは十年ぶりに再結成されたという「小曽根真ザ・トリオ」である。
 政治や世相について何も語らなくとも、彼らの音楽がそれに対する的確な批評になっていて、その上で、その中を生き続けている我々への暖かい励ましにもなっている。小曽根真だけでなくて、トリオの三人すべてがそのレベルに達しているのが本当に素晴らしい。
 五嶋龍や井上陽水のライヴを聴いた時にも私はそんな感銘を受けた。それができるひとこそが本当の芸術家なのだろうという気がする。
 そんな感銘、あるいは私の決意は、今ようやく持ち直してきた秋のさわやかな気候に何よりもふさわしいのかもしれない。それを落ち着いて噛みしめる余裕がとりあえず私には必要なのだろう。もうしばらくして時間の余裕ができたら、いつもの下北の温泉に行くことにしようと思う。晩秋の下北の景色にそれはよく合いそうに思えるから。


[ BACK TO MENU ]