三十年後の秋、今

「我々は今どこにいるのだ?」「俺は今どこにいるのだ?」重たい雪が多いうえに寒かった冬を終えて、歴史的と言われる酷暑も終えて、それでもこの気候は、これからの時代のほんの入り口でしかないのかもしれない。そして、大雨やいくつもの台風が駆け抜けて、ようやく秋の青空とさわやかな大気に包まれる季節がやってきた。私はほんのひと息ついて、仕事や生活のあいまに、あるいは写真を撮るあいまに、冒頭に書いたような青くさい疑念をふと思い出すことになる。

「何も変わらない、何も変わらない」まるで呪文のようにもうひとりの私がどこかでつぶやいていたりする。今から三十年くらい前、つまり昭和から平成に元号が変わる頃、私は初めて自分で生計を立てる身分になった。つまり、自分の目で世の中を見る資格が備わってきた頃だったと思う。だから、その頃の、世の中や、あるいは私自身を取り巻いていた小さな世界の気配を、私は今でも特別な思いで記憶している。

その「平成」は来年で終わるということだけれど、たしかに三十年もすると過去は完全な思い出になってしまう。でも、折りにふれて私が作っているスクラップファイルを引っぱり出して三十年前の新聞記事をひさしぶりに読んでみると、何も変わっていない、今と同じだ、私はそんな思いがしてくる。変わったことと言えば、新聞の文字が大きくなったこと、インターネットが普及したこと、そして地震や極端な気候が当たり前になったこと、そのくらいだと思う。

一九八八年、つまり昭和六十三年の暮れの新聞の社説には「私たちは今どこにいるのだ?」という記事が出ている。当時はバブルの全盛期だったと思うけれど、ここに書かれていることはそのまま今に通用する。そして、年が明けて元号が変わった一九八九年には、橋本治の「どの時代も現代に通ず」というコラムがある。ここに書いてあることも、やはり三十年後の今もそのまま通用する。

「何も変わらない、何も変わらない」だから、これからも何も恐れる必要は無いし誠実に生き続けることは可能である。ただ、世間のひとがうらやむような、一見将来が保障されているように見える生き方はしない方がいいぞ、という私の根拠の無い勘は強まるばかりである。結局、自由であることがいちばん強いのだと思う。

ただ、三十年前の新聞記事は今よりもずっと読み応えがあったと私は思う。先日の新聞には、読者も書き手も劣化して深みのある文章が新聞にも雑誌にも載らなくなった、というような記事が出ていたけれど、たしかに新聞や雑誌を時間をかけて読む、という習慣がいつのまにか私から抜け落ちている。そして、最近の私のスクラップファイルを見ると、私が切り抜いているのは書き手が練り上げた文章ではなくて、インタビューの記事ばかりであることに今気がついた。

三十年前のように、深みのある記事が当たり前のように毎朝あるいは毎月届けられる時代はもう終わってしまったのだろうか。

今はきっと、五百五十年前の応仁の乱の再来、長い乱世の入り口の時代なのだと私は思うけれど、そこを冷静に生き抜くためには、そんな深みのある記事をきちんと読み下す生活がどうしても必要になる気がする。テクノロジーがこれからどんな方向に発達していっても、それを続けてゆく限りうろたえずに生きてゆくことはできるだろう。

関係無い話かもしれないけれど、いずれ完全に消滅するだろうと三十年前に予測されたLPレコードは今も生き続けている。当時予測されたペーパーレス社会なんてものもやって来なかった。我々は巨大な乱世のほんの入り口にいる。どの時代も現代に通ず。二〇一八年の秋の青空を見上げながら私はそんなことをふと考える。

ひたむきに、そしてのほほんと生きていれば何も恐れる必要は無い。それがこの三十年の間に私が得た教訓である。乱世と言うか、長く続く斜陽の時代であればなおさらである。あとは、美しい陽射しをいとおしんで歩き続けること。それに尽きるような気がする。

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