改元令

「平成」の次の元号が「令和」に決まって、この文章が公表される頃には「令和元年」が始まることになった。

これは三十年ぶりの「改元」なのだけれど、それがこんなふうに滞り無く行われて、新しい元号を国民の大多数が自然に受け入れる。そんな元号制度が存在する国は日本以外に無い。日本は世界で唯一の、極めて特異な国なんだなあ、と私は改めて思う。

多民族で、多言語で、異文化がひしめく普通の国ではこんな制度はもう存在できない。決して当たり前ではない制度を我々は普通のこととして受け入れている。三十年前の改元の騒動を思い出しながら、私はそんなことを考えている。あの頃と今とでは、何が変わって何が変わらなかったのだろう。そんなことをあれこれ思い出してみたりする。

当たり前のことではあるけれど、新しい元号は、前の元号の末期の為政者が決めて、その時代を生きる国民が受け入れるものである。だから、新しい元号には、その頃の世の中の気分とか、あるいは思い上がりといったものがどこかに隠されているのだろうと私は思う。

佐藤優・片山杜秀共著の「平成史」という本のあとがきに、「平成」という語感は「大正」に似ている、という指摘があった。明治時代の文明開化と富国強兵のおかげで世の中は「大きく正しくなった」、それが「大正」になった、ということだったと思う。つまり、そこには達成感はあるけれど未来への展望が無い。

「平成」も、昭和の高度成長のおかげで世の中は「平らに成った」という、あの頃の、つまりバブル期の日本人の実感あるいは思い上がりがどこかに含まれていた。この、 平らに成った」世の中が、ずっと続いて欲しい。それはあの頃の我々の切ない願いだったと私は思うけれど、そこには未来への展望や意思は無かった、ということになる。 昭和の後に三十年余り続いた平成は、まさにそんな時代だっただろうか。そこには最初から閉塞の気配があった。しかも、その「平らに成った」世の中は平成の最初の数年しか続かなかった。後は少しずつ後退して崩壊が始まったのだと思う。

それにもかかわらず、「平成」という、平和な、あるいはバブル期の思い上がりをどこかに含んでいた元号は今に至るまでずっと我々に伴走を続けていた。そのギャップが我々を苦しめてきたのかもしれない。今思えば、は行とさ行の音で構成される「平成」という語感には、まさにバブル期にふさわしい軽さがあった。その呪縛から我々はようやく解放されることになる。

元号は、その意味や出典よりも、語感や見た目の方が大きな力を持つのではないだろうか。もしそうならば、ら行とわ行の音で構成される「令和」は、これからの我々をどんなふうに規定してゆくのだろう。「令和」にも、現在の我々の実感、予感、あるいは思い上がりといったものがどこかに含まれているのだろう。少なくともここには「平成」の軽さは無い。

「令和」の意味も出典も私は正確に知らないけれど、「令」という字には「令嬢」のような美しい意味と、「令状」のような恐ろしい意味があるみたいだ。そんな極端に異なる意味を併せ持った漢字が新しい元号の初めに使われていることが私には印象深い。そして、これを発音すると、そこには重厚さと冷たさがある。また、「令」という字の見た目には何か突出した印象がある。この字の次に平和の「和」という字が続いている。

繰り返しになるけれど、「令和」には、これを決めた為政者の思惑をはるかに超えた、何か予言のような深い暗号が隠されているのだろう。これから何十年もかけて、我々はその謎を解いてゆくことになる。

ところで、「令和」は万葉集から採られたということだけれど、万葉集は、国家が作った世界で最古の歌集だ、と私は中学か高校の古文の時間に習った。それが千年以上の時間を経ても我々の未来を規定する言葉を生み出している。これは驚くべきことではないだろうか。

日本は言霊(ことだま)、つまり詩や歌の呪力がいまだに国家の未来を規定するくらいの力を持っている、ものすごい国なのではないか。私はそんな戦慄を感じている。実は、日本人の生活は我々が思っている以上に文学的で呪術的なのかもしれない。

でも、そんな言霊に縛られることの無いように、なるべく自由に気楽に生きてゆきたいものである。「令和元年」は陽春の五月に始まることになった。それ以上、何も言うべきことは無いのかもしれない。

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