日帰り手術とパーフェクトデイズ

昨年秋、私の脚が急に痛み始めた話はこの前書いたけれど、その痛みが少し収まってきた頃、今度は右手中指に血豆のようなできものが出来た。これが少しずつ大きくなる。近所の皮膚科では手に負えないということで、私は総合病院で診察を受けることになった。

そこで出会ったのは、私よりもずっと若くて優秀な、まるでロックンローラーのようにも見える、ほがらかで話の面白い男性医師だった。その先生はすぐにこの腫瘍の切除手術を決断された。「最近この患者さんが多いんだよね。流行り病かなあ」と言っておられた。

私はその場で、リングストロボがついたキヤノンのカメラで患部の写真を撮ってもらった。リングストロボの扱いも以前に比べるとずいぶん簡単になったものだと私は感嘆した。先生にその話をしたら先生も笑っておられた。気の合いそうな先生に出会えてよかった、と私は思った。

その場で私は日帰り手術の日程を決めてもらって帰宅した。手術を待つ間にも腫瘍は少しずつ大きくなる。出血しやすくなって、押すと痛みが走るようになる。毎日寝る前に私は包帯を外して患部を洗って薬を塗るのだけれど、手術の前日には、腫瘍はまるで小さなきのこのように、赤黒く大きくなっていた。なかなかグロテスクなものである。

これはもしかしたら、今年の私の悪いものの象徴、その総決算かもしれない。私はそう考えることにした。悪いものは年が改まる前に取ってもらう。そうすれば、心おきなく新年を迎えることができる。私の誕生日はお正月だから、晴れやかに歳を取ることができる。今年は試練の年、もともとそう思っていたので、まさにおあつらえ向きである。

当分、右手中指は使えないけれど、食事の支度も仕事も年賀状書きも、それで差しつかえ無いように私は慣れてしまった。お酒が飲めない生活にもいつのまにか慣れてしまった。指が一本動けば写真は撮れる、と私はうそぶいていたことがあったけれど、まさにそのとおりである。しぶとく生きてゆく覚悟があれば、人間は何にでも慣れてしまうものらしい。自分がピアニストやギタリストでなかったことに感謝した。先生は「それは今からでも始められますよ」と、私にしてみれば恐ろしいことをおっしゃった。先生と私の会話は、まるで漫才である。

その、ほがらかな先生の執刀で手術は無事に終わった。事前に点滴を打って、中指に局所麻酔をかけてもらって、うんと若いお医者の卵に手術の様子を教えながら、私が生まれて初めて体験する、ささやかな外科手術は終わった。看護師さんたちにも親切にしてもらって、まるで映画の主人公にでもなったような不思議な体験だった。直後に一度だけ痛み止めを飲んだ。

週末にこの手術をしてもらって、翌週から私は普段どおりの生活を続けている。抜糸が済んでその出血が止まるまで、しばらく湯船には入れないけれど、それにも慣れてしまった。そして、切除した腫瘍の病理検査の結果、癌でないことが判明した。まずはめでたい。先生と看護師さんたちに感謝である。私の職場の若い友人たちも気遣ってくれる。この腫瘍の原因は様々だけれど、誰にでも起こり得るものなのだそうだ。

そんなこんなの生活を続けているうちに、もともとあった脚の痛みはいつの間にか治ってしまった。「痛いの痛いの飛んでけ、ですね」と私は手術をして下さった先生に報告した。お酒を飲まない生活もそのまま続いている。これからは、週末とか何かイベントがある時にだけ飲めばよかろう、ということで、もう毎日お酒を飲む気になれない。「それはいいことです」と先生もおっしゃった。この、思いがけない病気のおかげで、私の生活が良い方向に変わってきている。要するに、素敵なひとに出会ってそのお世話になると、人生が豊かになる。幸せなことだと思う。

傷が完全にふさがって、へこんでいた患部が少しずつ盛り上がってきている。それが思ったよりも早い、とのことで、私のしぶとさは天下一品、ということが、ここでまたしても明らかになった。いろんなひとに言われてきたことだけれど、素直でしぶとい、それだけが私の長所である。

ところで、この前まで読んでいた井上靖の「おろしや国酔夢譚」には、凍傷のために脚を切断する場面があった。自宅の古い百科事典を読んでみると、日本人が現代のような麻酔の恩恵を受けるようになったのは太平洋戦争が終わってからのこと、という記述があった。医学の進歩というのはありがたいものである。やはり生命は、身体は大切にしなくてはならない。人間は、誰にでも成すべきことがある。私はそれを改めて思い知らされた。試練の年の総決算として、まさにふさわしい体験だった。それが愉しい記憶になりそうなのが嬉しい。

そして新年が明けて早々、大震災が起こり航空事故が起こって、休んだ気がしないお正月だったけれど、それでもお正月の家事が一段落したのを見計らって、私は「パーフェクトデイズ」という映画を観に行った。役所広司が東京の公衆トイレの清掃員を黙々とこなす映画である。劇的なストーリーがあるわけではない。そして、役所広司の台詞は極端に少ない。これは、役所広司という俳優の力量で成り立っている映画かもしれない。私はそう思った。

その、役所広司が演じる中年の公衆トイレ清掃員は、誠実に仕事を続けるかたわら、三十年前に大ヒットしたフィルムコンパクトカメラ、オリンパスミューとホルガ製のモノクロフィルムで公園の木漏れ日の写真を撮り続ける。自分で暗室作業をするわけではないけれど、その小さなプリントを彼は大事に保管する。

ひとり暮らしを続ける彼の静かな日常がここで描かれる。彼はそれに充足しているように見える。そして、彼のこれまでの人生が描かれるわけではないのだけれど、彼は女性男性を問わず、若い友人たちに信頼され慕われる。

彼に写真家としての自覚があるのかどうか私には分からないけれど、これはもしかしたら、写真家として理想の生き方のひとつなのかもしれない。

理不尽なことも、辛かったこともすべて受け入れて、日々の仕事を誠実にこなして、ささやかな生活を楽しみながら写真を撮り続ける。それを続けるうちに、自分を含めたすべてを許すことができるようになるのかもしれない。自分でも思ってもみなかった大きな仕事がなし遂げられているのかもしれない。そして、たくさんの素敵な友人に恵まれる。それ以上、人生に、生活に、何を望めと言うのだろう。それが分かっただけでも、こうして歳を取った甲斐があったのだと今、私は思う。

映画館で、私は週に一回かよっているスーパーのレジ係のおばさんに出会った。ひとびとの無言の努力が世の中を支えている。もちろん、そこにはささやかな楽しみがある。それを私は忘れずにいたい。そして、私は分からないことを大切にしなければならない。このことも忘れずにいたい。めげずにしぶとく誠実に生きてゆけば、すべての願いはかなう。そのことが今、私にはよく分かる。

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