写真は、そこにいなければ写らない。それは確かなことなんだけど、写真を撮るためにそこに行き、たかだかカメラを構えてシャッターを押しただけなのに、撮ることやら撮った写真に理屈をくっつけたがる。それが、写真の見方、読み方をもっともらしくさせる。(『ズレたシャッターチャンス』丹野清志 )


『夏が好き』

猛暑、酷暑の町中を汗びっしよりになりながら歩く。

スナップ写真は出会い頭を撮ると言うイメージが有りますが、人の動きを予測する要素も撮る上において大切である。

しかし、この予測がなかなか出来ず、出来上がったスナップ写真はただ人を撮っただけに過ぎず、散漫である。

でも今日もこのクソ暑い夏の一日を私は楽しむ事が出来ました。

2018.10 のぶなが


『夏名残りの秋』

夏の名残りの熱気と、ひんやりとした朝晩の空気が交互に皮膚を刺激し少しずつ確実に季節が移り秋が進んでいきます。苦しみ耐えた今年の猛暑も過ぎてみれば少し懐かしくもあります。何でも無い日常ですが、毎日微妙に変化する空気を味わいながら散歩するように努めています・・・マインドコントロールはなかなか難しい。

2018.10 新海 裕幸


『絶景』

今年の春から夏にかけて、私が住んでいる岩手県盛岡市で撮った写真です。いつもどおり初代GRデジタルで撮りました。

盛岡で今年もささやかな展示を行います。以前、長野県上田市での個展で展示した旧作ですが、何かのついでにでもお立ち寄りいただければ嬉しいです。


阿部敏之写真展『小さな出会い・フランスの旅』期間2018年9月30日~10月27日

場所 カメラのキクヤ店内ミニギャラリー 時間9:00~19:00

2000年3月にフランスを旅した折、パリーから詩人ランボーの故郷として知られる小さな町シャルルビル・メジェールに向かう電車の中で小さな女の子と出会いました。おたがい通じない言葉で楽しくおしゃべりして写真を撮りました。ご覧いただければ嬉しいです。カラー写真10点を展示します。(入場無料)

2018.9 阿部 敏之


【管理人雑記】

今月もみなさんの写真に感謝です。写真っていいですね。のぶながさんのスナップもいいですし、新海さんの写真的世界も楽しいです。勿論、他のみなさんも楽しませてくれます。とりあえず、みなさんのお蔭で人生が楽しいです。


ジャズファンのロック語りですが楽しんでもらってますか?。当分お付き合いください。私がジャズファンになった経緯というのは、以前話したことがあると思います。ロックなんですが。ロックは私はロック世代なんです。世間ではビートルズ世代といいます。しかし私はビートルズ派ではないので。つまり、常に身近にあったということ。そういった環境にあったということです。



「ベスト・オブ・マディ・ウォーターズ」マディ・ウォーターズ

マディ・ウォーターズは1913年4月4日ミシシッピ州イサクィーナ・カウンティ で生まれた。因みにマディ・ウォーターズというのはニックネームで泥水という意味である。マディは1943年ギター一本を携えてシカゴにやって来た。まさにこれがシカゴ・ブルースである。今回このアルバムの中の「ローリング・ストーン」という曲を取り上げたが。え、この名前どっかで聞いたことがあるって。ロックバンドのローリング・ストーンズはここから名前を取ったわけです。


「イン・ゴッド・ウイ・トラスト」ドン・ニックス 1971年

ドン・ニックスは1947年テネシー州メンフィスで生まれる。サザンロックといえばこの人を外すわけにはいかない。このアルバムはドン・ニックスのファーストアルバムで次回紹介する「リヴィング・バイ・デイズ」と共に隠れた名盤と言われている。といっても現在意外と手に入るかもしれない。というのは。この間、中野の飲み屋で流れていた。最近スワンプ・ロックが注目されているようだ。曲はエイモス・バーク。結構有名な曲です。かな?。ドン・ニックス自身があまり知れてないもんね。


「ミュージック・フロム・ビック・ピンク」ザ・バンド 1968年

一曲目「怒りの涙」で始まる。このアルバムはロック界に大きな衝撃を与えた。ロックのファンならば持っていてもいいアルバムだ。ザ・バンドは1968年結成なのか?。このアルバムはザ・バンドとしてリリースされた。バンドのファーストアルバムである。しかしバンドには前史があり、カナダ人4人、アメリカ人1人でザ・ホークスという名で活動していた。1964年からのボブ・ディランのバックバンドとして全米・ヨーロッパツァーに参加。この時期ボブ・ディランはフォークからフォーク・ロックへ展開している時期で旧来のフォークファンから激しい反発を受けていた。1966年7月ディランは交通事故にあい、ニューヨーク郊外の通称ビックピンクと呼ばれる家に立てこもってしまった。そこにホークスのメンバーが合流しディランとのセッションがおこなわれていた。(これでアルバムのタイトルの由来がお分かりだと思う)そして1968年ホークスはザ・バンドと改名してこのアルバムをリリースしたわけである。このアルバムでザ・バンドは混迷するロック界にルーツ・ロックを提案したものである。

なんかまともにしゃべっているね。私らしくないなぁ(笑)。ま、私はジャズファンなのでまともには受けないでください。


「SATORI」フラワー・トラヴェリング・バンド 1971年

フラワー・トラヴェリング・バンドは1970年2月に内田裕也とザ・フラワーズを改名してできた。内田裕也はプロデュースに回った。このアルバムのメンバーは、ジョー山中(vo)、石間秀樹(g)、上月ジュン(b)、和田ジョージ(dr)である。日本ロックの創成期にこれだけの作品を作り上げたのは奇跡である。日本ロックの金字塔といっても過言ではない。前回のジョー山中はここへ持ってくるためのものだった。

北斎 やわら


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