写真は、そこにいなければ写らない。それは確かなことなんだけど、写真を撮るためにそこに行き、たかだかカメラを構えてシャッターを押しただけなのに、撮ることやら撮った写真に理屈をくっつけたがる。それが、写真の見方、読み方をもっともらしくさせる。(丹野清志)

『肖像権の街』

久し振りに旧作も含めて肖像権の街をまとめて見た。
 ファインダーを通して見る人間観察は、とても面白い。
 どう見るか、どう読むかは見る人の文化、知識、趣向などによって全く異なり、そこが又、人物写真の面白さでもある。

2018.5 のぶなが


「バリ島・トゥガナンの祭り」

2008年バリ島のトゥガナンで行われた「ウダバ・サンバ祭り」で撮影させてもらったものです。異国の非日常の出来事はワクワクドキドキする高揚した時間でした・・・

3回にわたって掲載してきたバリ島シリーズは今回で終了します。

2018.5 新海 裕幸


「三笠市幾春別」

北海道三笠市幾春別はかつて炭鉱で栄えた街です。久々 に訪れました。僕は古い家や建物を撮っているのですが、 ここは何度も来ています。今回は古い家々がかなり壊され て歯抜け状態になっていました。年内にもう一、二度訪れて 撮っておかなくてはと思います。

 有名な建造物は色んな人が撮りますが、普通の家は誰か が撮っておかないと一切記録に残らず消えて行きます。 使命感のようなものを感じつつ撮っているわけですが、全 部を記録できるはずもなく、行き当たりばったりに気を惹か れた建物を主観的に撮っています。 

2018.5 auf


「 絶景 」

昨年末、盛岡の友人から使用期限が切れて間もないカラーリバーサルフィルムを1本もらいました。フジクロームベルビア50です。「使うのにはさしつかえないから暖かくなったらこれで桜でも撮ってみたら」と言われました。なんだか宿題を出されたような気分です。そこで、盛岡市内の桜が咲き始めたのを見計らって、このフィルムをOM-4Tiに詰めてマクロ90mmF2とマクロ50mmF3.5を使って写し歩きました。8枚めまでがその時の写真です。フィルム1本では撮り足りなかったので、翌週、桜が満開になってから、今度は手許にあったフジクロームベルビア100をOM-4Tiに詰めて盛岡の町を歩きました。レンズは40mmF2を使いました。9枚め以降がその写真です。ずいぶん楽しい宿題でした。友人に感謝します

2018.5 阿部 敏之


「 管理人 雑記 」









「ロックン・ロール・ガンボ」プロフェッサー・ロングヘア 1974年
プロフェッサー・ロングヘアは1918年ルイジアナ州ボガルーサで生まれた。彼はニューオーリンズを代表するミュージシャンである。30年代はあらゆる職業を転々とし、40年代にはクラブのミュージシャンとして職を得ていた。50年代に幾つかのレーベルでレコーディングをしたが60年代に忽然と姿をくらませた。70年代にヨレヨレとなって路上にいるのを発見されこのレコーデングがされたわけである。聴いてもらえば分かるが3日間のレコーデングで見事に彼は復活した訳だ。因みに1980年1月30日に没している。
ところで、日本でプロフェッサー・ロングヘアを聴いている人などいるのかな。私は時々聞いています。これを聴いている人は間違いなく病気です(笑)。

「デラニー&ボニー&フレンズ」1970年
この曲はアルバムの最初の曲「シングス・ゲット・ベター」です。まず、このアルバムはスワンプ・ロックの名盤の一枚と言われています。又、エリック・クラプトンのファンならば歴史的一枚として持っていてもよいものです。まぁ、取り敢えず聴いてみてください。

「ポール・バターフィルド・ブルース・バンド」1966年
ポール・バターフィルドは1942年12月17日シカゴに生まれました。彼はシカゴ大学在学中に1965年マイク・ブルームフィールド等と出会い「ポール・バターフィルド・ブルース・バンド」を結成しました。これがアメリカでのブルースロックの始まりです。まず、ここは抑えておこうよ。その後マイク・ブルームフィールドとは方向性の違いから袖を分かつことになるが。この場でも今後マイク・ブルームフィールドのギタープレイを取り上げていくと思います。

「GOOD BYE グッドバイ」1975年
森田童子 2018年4月24日 死去



北斎 やわら


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