| 理趣経は真言宗では常に読経される重要な経典なんですが、いろいろと問題がある。
まず第一に、漢訳の文字がコンピュータでは対応していなく表示できないという問題。現在は大分
改善されたのですが、まだまだ今後の課題です。この点について怏z秀成氏が
「補助漢字使用、『般若理趣経』全文」をネットで公開しているので是非参考にして欲しい。 第二に、一般的にはお経は呉音読みなんですが、理趣経は漢音読みなので何をいっいるか分からない。 内容が内容なので、敢えて分からないようにしたという話しもあるが、そんなに軽薄ではないだろうと私は思う。 でも、理趣経を貸せ貸さないで最澄と空海が喧嘩別れしたという話もあるので、 ありえるかもね。読みについては club88でアップしているのを紹介します。 現代語訳は現在かなり出回っていますが、かつて青木淳氏がネットで公開していたのを一部転載させていただいた。 |
理趣経 |
| はじめに(序説) |
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このように私は聞いた。ある時、お釈迦様は、すべての如来が持っている金剛のように不変不壊な力によって、極めて勝れた境地に到達された。そして、すべての如来の智慧を象徴する宝冠によって、頭を浄められ、三界の主となられたのである。このように、お釈迦様は、すべての如来の一切のものを知る最上の智慧を得られ、心と体の完全な自由を得られた。その上、お釈迦様は、すべての如来の一切の行為が平等な慈愛によることを示す種々様々な事業を遂行された。
かくて、お釈迦様は、あますかたなく、すべての人々の世界における、すべての人々の願いを、みなことごとく完成させて、過去と現在と未来との三世のすべての時において、御自分の身(からだ)と口(ことば)と意(おもい)との三つの働きは、いささかも停滞するところがなくなった。こうして、お釈迦様は「あまねくすべてを照らすもの(大日如来)」と一体になられたのである。 この大日如来は、この世界の果てにある他化自在天(他を救うことが自在な所)の王宮に居られる。ここはすべての如来が常にゆきかい、その優れた様が褒め賛えられている大宝殿である。くさぐさの宝が錯綜し、吊りおろされた鈴や鐸そして絹旗が微風に揺れ動き、宝珠のついた髪飾りや装身具、半月や満月の形をした宝石などが、いとも美しく飾られている。 この美しい宮殿の中に、大日如来は八十億もの多くの菩薩と共に居られた。その菩薩の中でも、金剛手菩薩大士(金剛のように堅固な菩提心の体現者)、観自在菩薩大士(大いなる慈悲の実現者)、虚空蔵菩薩大士(一切の事物を包容してあらゆる存在をさまげない福徳者)、金剛拳菩薩大士(大いなる三密の行者)、文珠師利菩薩大士(最上なる智慧の完成者)、纔発心転法輪菩薩大士(素早くそして巧妙な説法者)、虚空庫菩薩大士(無尽にして無余なる供養者)、摧一切魔菩薩大士(外に憤怒を内に悲憂を懷いて悪を摧く奉仕者)の八大菩薩は座の中心であり、これらの大菩薩たちに尊敬されて、取り囲まれて、大日如来は正しい法(おしえ)を説かれたのである。 その法は、始めに善く、中に善く、終りに善く、表現の内容も巧妙で、いささかの誤りもなく円満であり、清らかで澄みわたったものである。 |
| 第一段 欲望は浄らかなり(大楽の法門) 金剛さったの章 |
| その最初の教えは「一切の存在(法)は清浄である」という教えである。このことについて、大日如来は十七の清浄なる菩薩の境地をあげて次のように説かれた。 |
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なにがゆえに、これらの欲望のすべてが清浄なる菩薩の境地となるのであろうか。これらの欲望をはじめ、世のすべてのものは、その本性は清浄なものだからである。ゆえに、もし真実を見る智慧の眼である般若を開いて、これら一切をあるがままに眺めるならば、あなたたちは真実の智慧の境地に到達し、すべてみな清浄でないものがないという境地になるであろう。
金剛手菩薩よ。この清浄なる境地を生み出す真実なる知慧の理趣(みち)を聞かされたならば、すべての障りは速やかに消え去り、光り輝く菩提(さとり)の道場(にわ)に入ることであろう。すべての障りとは、貧りや瞋りなどの煩悩の障り、法(教え)を聞きえない障り、悪業のみをなす障り等で、これらすべての障りを積み重ねても、地獄の境涯に落ち入るようなこともなく、重い罪を作ったとしても、それを消滅することは難しいことではない。 この正しい法門をただ聞くだけでなく、よく身に受持し、日に日に読誦し、よく心に思惟すれば、この世において、父母によって生まれたこの身体のままで、すべてのものの片寄らぬ本質を見極め、金剛のごとく不壊で安らかな境地になるであろう。こうして、あなたたちは、なにものにおいても、拘束を受けることなく自由となり、はかり知れぬ快楽と歓喜に満ち満ちることになるであろう。そして、十六の大菩薩によって象徴される十六の生の段階(禅定)を進んで、金剛のごとく不壊なるもの(金剛さった)を本質とする私「あまねくすべてを照らすもの(大日如来)」の境地を獲得することであろう。 このような大日如来の説法を拝聴した金剛手菩薩は、すべての如来の大乗(こよなき)現証(さとり)の三摩耶(思い)を示し表わす曼荼羅に住している持金剛者の中にあって、殊に勝れた者となり、この世の悪を調伏して余すところがない一切義成就菩薩となられた(一切の道理にかなったことを成し遂げた)。 かくて、金剛手菩薩は、この「欲望はすべて浄らかなり」という教えを表わすために、顔を和らげ、微笑まれ、左手に教えを象徴する金剛慢の印を結び、右手で菩提心(自分をよく知ろうとする心)を象徴する五股の金剛杵(五股杵)を揺り動かして、勇み進みゆく勢いを示された。そして、大いなる楽が金剛のごとく不壊で空しからずという境地を示すために、この教えを一字で表わす聖音「フーン」を唱えたのであった。 |
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理趣経は、正式には「大楽金剛不空真実三昧耶経・般若波羅蜜多理趣品」と言い、密教経典「金剛経」の一部で般若経を基盤にしている。漢訳は不空三蔵で、「般若心経」の玄奘三蔵、あとは鳩摩羅什、真諦と四大訳経家の一人です。因みに、三蔵というのは経・律・論の三蔵に通じているという尊称です。 上記「理趣経」の現代語訳は「序」と「一段」を転載させていただいたが、内容的にこれだけで十分だろうと考えています。
さて、現代語訳を見ていただけば分かる通り誤解されやすい。決して性や性的欲望を称揚している訳ではないが、勿論否定しているわけでもない。まず、大乗仏教というのは一般の人々を導くことを目的にしている。と、するならば。人間の本質である性の問題を避けて通れないし、基本的な日常世界を否定することは出来ない。現象世界の本質を「浄らかなり」と肯定し、より高い世界へと導こうとするものだ。在るがままで悟りを開く。これが密教の即身成仏だと私は思っているし、即身成仏といえば荒行をつむことだと思っていることは、間違いだと思う。私は「理趣経」は在るがままの世界を肯定し、ある意味、自由と平等と慈愛を説いていると理解している。 |
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